「ブスな女」は幸せになれないのだろうか?

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」って漫画を読んでから、”ブスな女”について深く考えさせられている。

こういう話題は女性の間ではおそらく絶対に触れない話題だろうけど、わたしは気になったのであえて触れてみる。(女は基本的に表面では褒め合ういきものだからだ。)

 

「ブス」か「美人」かだと美人を選ぶのは当たり前

そもそもの「ブス」の定義が気になったので調べてみた。

ブスとは

不細工(容姿が醜い)な人のこと。

-日本語俗語辞書より引用

容姿が醜いこと。ここではきっと”顔”になるのだろう。醜いと感じるかどうかは完全に個人の主観なんだけれども、それでもまわりから「ブス」だと呼ばれる人は存在する。

 

もちろんブスと美人がいたらどちらを選ぶかといえば、一部のブス専の男性を除けば美人を選ぶだろう。これは当たり前のことだ。

わたしだって目の前にイケメンとブサ男がいれば、性格の良し悪しを考慮しないのであれば迷わずイケメンを選ぶだろう。

 

これはもう本能的なもので、いい顔と醜い顔があれば良い方を選んでしまうのは自然なことだと思う。

顔の良し悪しによる格差は絶対に存在する。これは紛れもなく事実だ。

 

ブスは幸せになれないのか?

じゃあ、顔の良し悪しに格差があるところでブスな女は幸せになれないのか?

そう問われるとそこは疑問である。

 

なぜなら、誰もが羨むスーパー美人でも大きな悩みを抱えて不幸に生きる人もいるからだ。

そう考えると「ブス」だから不幸になるのではなく、ブスだと言われて自信をなくして積極的に生きられなくなるそのメンタルが自らを不幸にさせているのだ。

 

しかし「容姿」は自分に自信をつけるうえで大事な要素であることは間違いない。

特に女性においてはそこは顕著だと思う。

でもブスだとかブスじゃないとかで言い合うのは、大体30代くらいまでが目処なんじゃないだろうか。

 

美しさは消耗品だ。若さからくる容姿の美しさは、時間がたてばなくなっていく。

今後消耗していくものなのであれば、いちいちブスだとかどうとか言われたところで気にするよりも、歳をとっても消耗しない中身を磨いていくほうがいいんじゃないかと思う。

 

どちらにしろ本人が幸せだったらなんでもいい

わたし自身もそこそこブログで名前が知れるようになってからはよくネット上でブスだとかなんとか言われているが、別にそれで不幸になったかと言われれば全くそんなことはなく、毎日楽しいことばかりして生活している。

結局ブスだろうがデブだろうがまわりになんと言われようと、本人が幸せであればなんでもいいのだ。

 

 

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執筆屋あんちゃ
執筆屋です。意識高い人生哲学から下ネタまで幅広く。 大阪の珈琲屋「シロフクコーヒー」のバリスタ▶︎系列店「ゆにわマートオンライン」に最近異動しました。最近はよくインスタにいます。

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