人生は、80年もかかる強制参加のクソゲーだ。

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わたしはサバイバル漫画が大好きだ。

 

なぜなら、こんなにも「生」と向き合う瞬間はないからだ。登場する人物全員が「今生きること」に向き合っているからだ。

 

 この記事のタイトルは「今際の路のアリス」というサバイバル漫画の一コマにでてきた、印象的なセリフだった。

 

「勝手に生まれて強制的に人生を送るゲーム」という感覚

わたしも社会人2年目に差しかかる頃に、こう感じた事があった。

「自分が望んでもいないのに産み落とされて、そこから死ぬまで80年、強制的に人生を生きなきゃいけない」と。

 

自分のやりたいことがわからず、毎日家と会社を往復して、なんのために働いているのか、働くために生きているのかわからなくなって、生きることになんの意味があるのか見えなくなった。

 

というか、この状態を到底「生きてる」とは言えなかった。

心臓が動いているだけの「死んだ人間」だとすら思っていた。

 

それなのに、「希望を持って生きろ」とみんな言う。

 

こんな強制参加のクソゲーに希望なんてなくね?って本気で思っていた。

 

この頃から、よくサバイバル漫画を読むようになった。

必死に「生」と向き合う登場人物たちが全力で生きる事を渇望し、その人生の一瞬一瞬に集中するさまがまぶしかった。

 

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死ぬ勇気がないから、仕方なく生きている。

でもそんな希望のないクソゲーも、何もなければあと60年はゲームオーバーできない。

死ぬ勇気がないから、生きるしかない。そんな感覚。

 

こんなことを吐露すると「生きたくても生きられない人に失礼だ」という人がでてくるかもしれない。

でも、きっとこの日本には「死にたくても死ねない人」も存在するのだと思う。

死ぬ勇気がないから、なんとなく生きている人。

希望もなく、かといって地獄をみるほどのどん底を味わうこともない、仕方なく生きている人。

 

そういう人たちに、「希望をもって生きろ」と正面から向かって言えるだろうか。

みんな希望を見つけることができるなら、たぶんこの国にうつろな目をして仕事をする人はいないはずなのに。

 

クソゲーなりに楽しむという”希望”

ただわたしはまわりまわって、ひとつの希望となりうるヒントを得た。

「どうせ強制的に続くこのクソゲーなら、仕方なく生きることを選択するしかできないのなら、クソゲーなりに楽しんだほうがいいのかもしれない」という気づきだ。

 

どうせ生きることしかできないなら、楽しんだほうが得だという貧乏性の私ならではの発想だ。

 

だったら、意義を見出せずただ家と会社の往復だけをしている生活はもう、いっそ捨ててしまえばいいんじゃないかという結論になった。

 

その生活を捨てて、給料が入ってこなくても、わたしはどうせ死ぬ勇気がないから生きるのだ。

 

そうなればきっと本気で働き、お金を稼ぎ、食にありつくのだ。

 

そう思ってから実際わたしは会社を辞め、本気で働くこと・お金を稼ぐこと・食べること眠ることに向き合い、独立した。

数年後どう生きるかではなく、「いまどう生きのびるか」を見つめるようになった。

 

かつてまぶしさを感じていたサバイバル漫画の登場人物たちのように、”生”と向き合い「いま生きる事」に全力で集中するようになった。

 

 

 

人生は、80年もかかる強制参加のクソゲーだ。

 

だからこそ、わたしはこのクソゲーをクソゲーなりに楽しんで攻略していきたい。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

プロブロガー・メディアディレクター。 月間50万人に読まれる当ブログ《まじまじぱーてぃー》運営&恋愛メディア《らぶりりーす》編集長。26歳。25歳のときに会社を辞めてブログで独立しました。趣味は人生哲学と下ネタです。

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