”面倒くさいこと”がこの世からなくなっていくのが寂しい

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世の中はどんどん効率化されて、便利なものが増えて、人々の暮らしが豊かになっている”ように見える”。

「面倒くさいもの」はどんどんデジタル化されて、コンピュータが処理してくれるようになって、人間はそれらをやらなくて済むようになっている。

 

確かにわたしもその恩恵をたくさん受けているし、それらがなければいま私はこんな生活をしていないと思う。

ただ、時々わたしは、それがさみしい。

 

偶然の出会いがなくなる未来

Amazonがボタンをぽちっと押すだけで日用品が注文できる仕組みを作った。

わざわざスーパーやドラッグストアに行かなくても、ボタンを押すだけで買い物ができる。

 

最近は映画館やTSUTAYA、居酒屋もどんどん機械によって受付をすることが多くなった。

操作すれば入場券がもらえて、DVDが借りられて、食べたいものが届けられる。

 

これは企業にとっても人件費の削減になるし、消費者側としてもスムーズにやりとりできるようになったと言える。

 

ただ、これらが効率化されたことによって、「人と人とがコミュニケーションをとる機会」を失ってしまった。

 

Amazonは面倒な買い物をしなくて済む画期的な仕組みを作った代わりに、わざわざスーパーに足を運んで、自分がまだ知らない新しい商品やサービスと偶然出会う機会を奪ってしまった。レジのおばちゃんに「ありがとう」という機会を失ってしまった。

 

居酒屋のお姉さんに「今日のおすすめはなんですか?」と聞ける機会を失ってしまった。

 

効率化は、”偶然の出会い”を失ってしまう。

自分が欲しいものを最短で手に入れられることは素晴らしいことだ。だけど、面倒な手間をかけることで得られた偶然の人やモノとの出会いはなくなってしまう。

わたしがさみしいと感じていた正体は、これだった。

 

私はコンビニのおじちゃんに救われていた

社会人2年目の冬、今後の人生に迷い、仕事もうまくいかず不安と葛藤に追い詰められながら、並行してブログを毎日書いていた頃。

よく家の帰り道にあったコンビニに寄っていた。

いつも会社帰りにカフェで遅くまでブログを書いていたため、毎日終電で家の最寄駅に着きコンビニに寄っていたのだけど、そこにはいつも夜勤で働いているおじちゃんがいた。

 

いつもニコニコ対応してくれて、「いつもお疲れ様だね〜」と声をかけてくれた。

わたしはその一言にすごく癒されて、あったかいコーヒーを飲みながら帰路についていた。

たまにおじちゃんが自分のカバンからお菓子を出してわたしにくれたりもした。わたしがいつもコンビニスイーツを買ってるのを知ってたからだ。

 

特に買いたいものがなくても、ついつい寄ってしまうような暖かさがあった。

 

いまは引っ越してからずっとあのコンビニには行ってないけど、いまだにあのときあのおじちゃんを思い出す。

わたしは”偶然のコミュニケーション”によって救われていたのだ。

 

でも、きっとコンビニも、将来無人のレジになったりするのかもしれない。

効率化した結果、あの暖かさは失われてしまうのかもしれない。

 

便利な世界にも”偶然の素敵な出会い”を

わたしはいまパソコンがあればどこでも仕事をできる。

オンラインで打ち合わせをすれば、一切人に会わなくても済む。欲しいものもネットで注文すれば家から出なくてもいい。

 

でもわたしはいまだにリアルでイベントを開催したり、直接会って打ち合わせしたり、相談に乗ったりしている。わざわざスーパーや、ドラッグストアや、ショッピングモールに足を運ぶ。

二次元ではない人とのコミュニケーションは、自分の人生を豊かにすることを知ってるからだ。

新しいモノやサービスとの”偶然”の出会いは、自分のこれまでの価値観をまるっと変える可能性があることを知ってるからだ。

 

これからの未来はもっと効率化されて、便利になっていく。

でも、わざわざ面倒くさいことを自分の手と足でこなすことで得られることもあるってのは、忘れないでほしい。

 

 

人間のコミュニケーションは、めんどくさいからこそ人生を劇的に変える可能性もある。

だから、効率化された未来でも、人間のコミュニケーションだけはなくならないでほしいと願う。

 

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執筆屋あんちゃ
執筆屋です。意識高い人生哲学から下ネタまで幅広く。 大阪の珈琲屋「シロフクコーヒー」のバリスタ▶︎系列店「ゆにわマートオンライン」に最近異動しました。最近はよくインスタにいます。

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