誰かに好かれたいなら、誰かに嫌われる覚悟を持て。

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「多くの人に支持される人間になりたい」という人がいた。

でもその人は「批判されるのがこわい」と言った。

「嫌われるのは怖いから、なるべく波が立たないように支持されたい」と。

 

誰にも嫌われない人は、誰にも好かれない

はっきり言おう。

そんなのは、無理だ。

 

誰かに好かれるということは、誰かに嫌われるということだ。

 

どんなに多くの人から愛されているように見える人でも、裏側をみればたくさんの批判と戦っている。

ひとつの価値観に共感するということは、その反対の価値観を暗に否定するということだ。

誰かの生き方を支持するということは、その反対の生き方をする人を暗に否定するということだ。

 

ただしひとつだけ、誰からも嫌われない方法がある。

「どちらかなんて言えません、わたしはどちらも好きです」という人は、だれからも嫌われることはない。

 

そのかわり、だれからも好かれる事もないのだ。

 

これはいま日本で働いている多くの人たちに言える立場だと思う。

「波風立たせたくないから、とりあえず上司の意向に従っておこう。」

「どちらかの立場をとれば嫌われるかもしれないから、中立の立場でいよう。」

 

そうやって、「自分がどうしたいのか」を決めず立場をぼやかす人たちは、あまりに多い。

そんな人たちは決まって、「その環境のなかで嫌われることが怖い」という感情を抱くひとたちだ。

 

嫌われる覚悟がもてなかった1年前のわたし

わたしも1年前まで、「だれにも嫌われたくない」側の人間だった。

ハブられるのが怖い

嫌われたくない

ひとりにされたくない

とにかく自信がない

こんな感情ばかり毎日抱いていた。

 

だからまわりの意見にはNOを言わず、「それいいね」「わたしもそう思う」と、自分の意思を持たず流されて生きてきた。

 

結果

心から信頼できる、信念を共感できる仲間はほとんどいなかった。

 

当たり前だ。

誰にも嫌われないように自分の意思を持たずに振る舞ったのだから、誰にも受け入れられることもなかったのだ。

 

他人の目を気にして自分の意思を発信しないということは、誰からも自分の意思を受け入れてもらえないということなのだ。

でも発信するには、嫌われる覚悟が必要だ。

 

わたしはここで、長い間葛藤した。

 

弱さを受け入れ、覚悟を持つ

わたしはその後、臆せず自分の意思を発信する人たちと出会って、心底尊敬した。

こんなにもたくましく、生き生きと自分の意思を伝え、多くの人に支持されているのかと。

 

でもその人たちも、裏では嫉妬や中傷と戦っていた。

輝かしく自分の意思を語る姿の裏には、必死の覚悟があったのだ。

 

そのことに気づいたわたしは、今までの人生を恥じた。

どんなに魅力的な人でも、全員から好かれことはないのだ。

都会が好きな人がいれば、田舎が好きな人もいるように

会社員という働き方がいいという人もいれば、フリーランスがいいという人がいるように

全て同じ価値観で生きている人間なんて、ひとりもいない。

 

この時点で、誰にも嫌われず全世界の人に好かれるということは不可能だ。

わたしはそこから今までの弱い自分を受け入れた。

 

わたしが嫌われることをおそれたのは、

お金がないからでもなく

誰かに認められなかったからでもなく

「自分はこう生きる」という強い意思がなかったことだ。

 

強い意思がなかったらから、自分の人生を否定され嫌われることをおそれたのだ。

結局は自分がどう生きるかをかんがえ、覚悟するだけなのだ。そこに外部的な要因なんか関係ない。

 

自分の弱さを受け入れ、そこからどう這い上がるか。

誰かに好かれたいなら、誰かに嫌われる覚悟をもつ。

 

嫌われる覚悟をもった瞬間から、ひとははじめて自分の人生を生きていける。

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