幸せとは、「今この瞬間」に生ききること。東大名誉教授・矢作直樹インタビュー

 

こんにちは。執筆屋あんちゃです。

 

今回は、私が2年前から歴史の勉強をする中で、ずっとお世話になっている、国史啓蒙家・小名木善行(おなぎぜんこう)先生からのご縁で、東京大学名誉教授・矢作直樹(やはぎなおき)先生にインタビューをさせていただくことになりました。

 

 

約35年間医師として、麻酔科・救急・集中医療・手術部・内科など様々なフィールドでご活躍され、現在は東大名誉教授として、教育活動に携わる矢作先生。

著書『人は死なない』(バジリコ)『おかげさまで生きる』(幻冬舎)などのベストセラー本も、数多く出版されています。

 

 

今回は、医療の最前線で人の生死に立ち会い、また、幼少期の頃からも、死生観、肉体と意識の関係、死後の世界・・・について、ずっと向き合ってこられた矢作先生の、『幸せ』と『死生観』について、代表的著書『人は死なない』から派生して、お話しを伺いました。

 

 

●プロフィール●

矢作直樹(やはぎ なおき)

1956年、横浜市生まれ。1981年、金沢大学医学部を卒業後、麻酔科、救急・集中治療、内科の臨床医として勤務しながら、医療機器の開発に携わる。1999年、東京大学工学部精密機械工学科の教授に。2001年に同大医学部救急医学分野教授、同大病院救急部・集中治療部部長。2016年3月、任期満了で退任。
日本人がかつての「死生観」を思い出すことで、より心安らかに暮らしてほしいと願い、『人は死なない』(バジリコ)、『天皇』(扶桑社)、『おかげさまで生きる』(幻冬舎)など数々の著作を著した。

 

 

『幸せ』を感じる力

 

 

あんちゃ:「幸せ」の感じ方って、その時代とか、状況によって、移り変わっていくものだと思うのですが、じゃあ、その中で「どんな時代になっても変わらない、人類普遍の〝幸せ〟ってあるのか?」というのを、いつも考えたりするのですが、矢作先生はどうお考えでしょうか?

 

 

矢作:幸せって、結局自分の中にあるものなんですよね。それに気づくかどうか、というだけで。もちろん環境とか、置かれた状況が、多少なりとも影響するかもしれませんが、それをどう感じ受け取るか、も自分次第なわけです。

多くの人は、「他者と比べて幸せかどうか?」と考えてしまうと思うのですが・・・。けれども、今の私たちの生活は少なくとも平和ですし、命の危険もあまり無い。呼吸もできて、身体も動くし、自立できている。これで満足だ、と思えたら、それでもう幸せなわけですよね。

そこに、自分の底無しの欲求や「(他人と比較して)まだ満たされてない」という気持ちがでてくると、その幸福感というのが、薄れていくわけですね。
難しく考えなくても、朝起きて普通に息ができることに、「ありがたいな」って思えたら、もう十分幸せなことではないでしょうか?

 

 

あんちゃ:確かに、これだけ恵まれた場所に生まれていること自体、すごく幸せなことです。それが、みんな当たり前になってしまってるんですよね。。矢作先生が、そういう当たり前の日常が実はすごくありがたいことなんだ、と気づくタイミングなどはあったんでしょうか?

 

 

矢作:子どもの頃からあまり変わってないような気はしますね。むしろ、大人になるにつれて、その幸福感を受け取れない人や、それぞれの考え方・感じ方が多様にある、ということを知っていったような感じです。

 

 

あんちゃ:なるほど。確かに、子どもの頃って目の前の日常がすべてで、そこに未来への憂いも、過去への執着も無かったなと思うんですが、大人になるにつれて、その感覚を見失ってしまうというか・・・。

現代の日本人は、スマホやネットが普及するほど、若い子も含めて、常に不安や恐怖に囚われているような印象があります。

お金が無いと幸せになれないとか、結婚しないと負け組だ、とか。本当は、幸せを感じるのって、矢作先生の言うようにもっとシンプルなものだと思うのですが、その「当たり前のものをありがたい」と思う感覚って、どうすれば取り戻せるんでしょうか。

 

 

矢作:普通に外歩くときでも、空を見たり、風を感じたり、木々のにおいを感じたり、鳥のさえずりを聞いたり・・・そういうところから始めたらいいと思うんです。そこに触れる中で、だんだんとその感覚が戻ってくると思いますよ。

 

あんちゃ:スマホばかり見て歩いていたら、感じるものも感じられなくなりますね・・・(笑)矢作先生の話を聞くまで、私も目の前の日常を感じることに鈍くなっていた気がします。

 

矢作:それが素晴らしいことなんだろうな、とイメージできたら、その瞬間から変わると思いますよ。

一つの例で言うと、禁煙の治療って、西洋医療的には少しずつニコチンの摂取量を減らしていくやり方をするのですが、実はそんなことをしなくてもいいんですね。タバコをやめた後の、素晴らしい世界を鮮明にイメージできたなら、その瞬間からやめられるんです。

 

 

あんちゃ:なるほど・・・!人の意識と行動って、イメージだけでそこまでシンプルに変わるものなんですね。難しく考えていたのかもしれません。
じゃあ、今やっている仕事や取り組んでいる活動が、すごく苦しくてしんどい状況に置かれていたとしても、そのイメージ力を忘れないことで、活路が見出せるということですね。

 

 

矢作:我々の「思い」の力がどれほど強いか、というのを経験してもらうことをいろいろとやってきたのですが、俗に言う「第六感」というのも、オカルトでも何でも無くて、そのイメージの力なんですよね。どうしても、自分自身で意識の壁を作ってしまう人が多いのですが、それが外れるだけで、見える世界はガラッと変わるんです。

別に難しい話ではなくて、「あ、そうなんだ」とシンプルに捉えたら、一気にパラダイムシフトすると思いますよ。元々古来の日本人は、鋭い感性・直感を持っていたし、それは私たちの中にも眠っているものなので、あとはそれを思い出すだけなんです。

 

 

あんちゃ:矢作先生は、古代の日本・・・縄文時代の人々が、優れた感性を持っていた、と話されていましたね。

 

矢作:そうですね。縄文時代の人たちの「死生観」を、ぜひ取り戻してほしいと思います。縄文人は、意識が「今ここ」に合った瞬間、次元を超越したひらめき・・・たとえば、科学者であればインスピレーションが湧いたり、芸術家なら素晴らしい景色やイメージが浮かんだり、スポーツ選手ならゾーンに入って、ありえない記録が出るとか、そういう瞬間が訪れることを知っていたんですね。
これを、のちに神道では「中今(なかいま)」と言うようになりました。

 

 

あんちゃ:過去にも未来にも囚われることなく、今目の前にあるものにただただ夢中になったり、没入する、という感覚ですね。私も文章を書いているときは、その感覚に近い気がします。

 

 

矢作:縄文人たちは、何か教えを得なくても、みな自然とその能力が備わっていたんです。常に「中今」の状態で生きていられる。すると、「自分が今なにをすべきか」が瞬時にわかるんです。

実は、縄文時代は約1万7千年の間、争いが全くありませんでした。それはなぜかというと、「自分たちがどう在るべきか」が直感でわかっていたからです。
その後、大陸から人が渡ってきたときに、その力は衰えてしまいましたが、私たちの中にも、わずかに「中今」に生きるための精神が残っているんですよ。

 

 

あんちゃ:確かに、目の前のことをただ無心でやっている時って、いちいち「自分は今幸せなのだろうか」とか考えないですし、「死」を恐れたりもしない。常にそんな状態でいるためにも、今ある日常をありがたく受け取る、ということから始めたいですね。

 

 

科学も精神世界も、同じ一つの山である

 

あんちゃ:西洋医療の分野でずっと活躍されていた矢作先生が、目に見えない世界のこと・・・人の意識や感性のお話しをされていることで、すごく説得力があるなと感じました。

 

 

矢作:西洋医療と、目に見えない世界が対極にあると考えてしまうと、かえって話がややこしくなってしまいます。

超一流の物理学から、高次元の世界についての話もあれば、西洋医療だってまだまだ未熟ですから、目に見えないエネルギーを使って治療することもあるんですよね。
我々が生きている三次元を超えた、高次元の世界への理解が、この現実世界の理解につながるのです。それが、縄文人にはできていたことなんですね。

 

 

あんちゃ:根底では全部繋がってるってことですよね。現代の日本人の考え方って、科学と、精神世界が完全に分離してしまっているように思います。

 

 

矢作:なぜ分離してしまってるかというと、たとえば一つの〝真理〟という山頂を目指す上で、どの道から登っていくか、が違うだけなんですね。反対側の道が全く見えないから、分離しているように感じてしまうんです。

 

 

あんちゃ:真理を探求する上で、アプローチの方法が違うだけということですね!本来は全部一つの山なのに。なるほど、わかりやすいです。

 

 

ーー矢作先生の著書『人は死なない』では、現代人の過度な「科学信仰」についても危惧されています。

 〝近現代における自然科学は飛躍的な進歩を遂げ、人類はその多大な恩恵を享受していることは確かです。しかしその反面、我々は科学への過信からその本質を誤解するようになっていないでしょうか。
 私には、現代の人々は、自然科学本来の領域を忘れ、あたかも科学的方法論によって解明できない領域など存在しないと考えるようになってきているのではないかと思えて仕方がありません。 (中略)私自身、実際の医療現場に身を置いていると、机上で科学的に考えてすべてが解決するほど現実は単純ではないことを痛感しています。
 繰り返すようですが、科学の進歩は目覚ましいとはいえ、我々人間がこの「世界」について知っていることは極めて限られているのも事実です。〟

—『人は死なない ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索』矢作 直樹著

 

確かに、科学と宗教・精神世界の分野は互いに干渉し得ない領域かもしれません。が、それと同時に、対極に思えるものは、実は地続きであること。どちらの視点も知り、自分の中に取り入れていく、という姿勢が大事だということですね。

 

 

まずは自分の在り方から変えていく

 

あんちゃ:今の世界情勢は、ウイルスの蔓延しかり、自然災害やマスメディアの煽動によって、人々がずっと精神的にも不安定な状態が続いてると思います。

表面的な情報に一喜一憂するのではなくて、自分の感性に従って、情報の取捨選択をしたり、振る舞いを決めていく必要があるなと。
本来、そういう感性は、誰にでも持っているものなのですが、なかなか理解できない、という人も多いなと。

 

 

矢作:その人のタイミングが来ないと、理屈だけでは響かないですからね。そこを、無理やりわからせようとか、どうこうするというのはできないですよね。

だから、人をどうこうするよりも、まず自分から変わっていけば、無理に「伝えよう」としなくても、伝わる時は伝わるんですよね。
私自身も、講演会などでお話しする機会がありますけれども、「自分の今考えていることをお伝えします」というスタンスでお話しするだけで、理解してほしいとは望んでいません。

 

 

あんちゃ:まず、自分の在り方から変えていくことで、自然と響く人には伝わっていくってことですね。私もつい、誰かにわかってほしくて躍起になってしまうので、一旦自分の内側に目を向けたいと思います(笑)

 

矢作:肩の力抜いて、生きてくださいということですね。

 

 

あんちゃ:寿命を迎えるまでは、どれだけ濃い毎日・・・中今の精神で生きられるか。日々夢中で生きて、煩雑な思考を一旦リセットして、感謝して過ごす。今この瞬間できることをやる。
答えはとてもシンプルなので、いつでも立ち返って思い出したいですね。矢作先生、ありがとうございました!

 

 

矢作先生の著書

>>『人は死なない ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索』(バジリコ)

>>『おかげさまで生きる』(幻冬舎)

 

>>矢作直樹先生 著作一覧(公式サイトに飛びます)

 

矢作直樹先生 公式サイト

https://yahaginaoki.jp/

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

執筆屋&大阪の珈琲屋「シロフクコーヒー」のバリスタです。 意識高い人生哲学から下ネタまで幅広く。 貧乏OLから独立して文章でメシを食っています。 「生き様で人の心を動かす発信をする」のがモットーです。 月間30万回読まれるブログ『まじまじぱーてぃー』運営 / 著書『 アソビくるう人生をきみに 』(KADOKAWA)

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