「現実と精神」

 

ブロガーとして独立したばかりの頃のわたしは

とにかく生活を立てるのに必死で

いかに売り上げを出すか、ばかり意識していました。

 

(別にオモテには出さないけど、内心ではずっと

どう稼ぐかばかり考えていた。笑)

 

お金を稼げば稼ぐほど、

経済的には豊かになって

精神的にも余裕ができた、と思っていたけど

 

実際には、それは一時的なもので

そのあとには

お金を稼げなくなる不安と恐怖が大波のように押し寄せてきて。

 

だから、どうすればこの不安と恐怖から逃れられるか?

 

そのためにはもっと稼がなければ・・・と

目に見える数字をずっと追い求めるようになりました。

 

すると、ブログのアクセス数も、

SNSのフォロワー数も、お金という成果も、

その数字の裏には生身の人間がいるということも忘れ

ただ、結果を出すことばかり見るようになって。

 

しまいには、自分の感情も置いてけぼりで

数字を出すために、ウケる発信をするようになって

目に見えるものばかりを求めた結果

 

目に見えないものを置き去りにして

ふと立ち止まったときには

あれ、わたしなんでこの活動してたんだっけ・・・

 

と、進むべき道を見失って、長いこと葛藤した時期がありました。

 

 

目に見えない、

人の想い、歴史、背景、

そして自分の感情、

それらを感じて、目に見えるものを形作ることが

どれだけ大事なことかを身をもって知ったのは

随分経ってからで。

 

それはきっと、わたしだけでなく

資本主義社会で生きるすべての人類が陥る

落とし穴でもあるのだろうと

思います。

 

 

ただ、かといって

目に見えないものだけ大事にすればいいのか?

というとそうではなくて。

 

精神世界・スピリチュアル系の世界も、

一歩間違えれば、

現実を捨てて、目に見えない世界に逃げ込んでしまう恐れがある。

見たくないモノには蓋をして、空想の世界に閉じこもってしまう。

 

(そうして現実が破綻している人を何人も見てきたし

得てして、地に足のついていない人の言葉は、表面的で、浮いている。)

 

 

現実に偏りすぎて、形ばかり求めても、精神が置き去りになり

精神に偏りすぎて、空想に逃げ込んでも、現実が崩壊する。

 

その両方の、絶妙なバランスをゆらゆらと渡り歩く中で

はじめて、地に足のついた、

かつ、大義のある生き方ができるのではないか、と感じています。

 

 

それは確かに、簡単なことではないけれど。

 

現実の忙しさに埋没すれば、ついつい心を置いてきてしまうし

嫌なことがあったら、全部投げ捨てて空想に逃げ込みそうになる。

 

それらを、どう、受け入れて、向き合って、

バランスを取っていくか。

 

 

わたしも日々、学んでいく身として、意識していることの一つだったりします。