現代は「情報の戦国時代」だ。だからこそ、揺るがない精神が必要なんだ

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「戦国時代の武士はなぜ茶の湯を好んだのか」

 

最近歴史を学んでて、単純に興味が湧いた。

いろいろと調べてみてひとつの考察として出てきたのが

「戦が絶えない不安定な時代の中で、心の平静や自分の原点を見つめ直す時間として茶が存在したのではないか」

というものだった。

 

静かな空間で、心の平静と深いコミュニケーションを味わう

茶の湯にはもちろん政治的に利用されるものもあったり、茶会を開くことが権威のしるしになったり、織田信長なんかは名物茶器を家臣への褒賞としたりしていた(当時はそれだけ価値の高いものだった)そうだけど、茶の本質は上述した考察に帰結するんじゃないかと、わたしも思っている。

(なぜ「茶」なのかについても諸説あるけど、”百薬の長”と呼ばれるくらい茶は健康の源だという認識があったためではないか、とも言われる)

 

外の喧騒と離れ、静かな空間でひたすらに茶と向き合い、4畳半ほどの狭い茶室のなかで主人と客人が深い交流をする。

一歩外に出ればいつ死ぬかもわからない日常で、刀を置いて茶を嗜むことが「武士」ではなく「一人の人間」としての心の拠り所になるというのはたしかに想像できる。

 

 

現代では戦いはなくなったけれど、情報が溢れ過ぎて多くの人が軸を見失い、どこへ向かって生きていけばいいのかわからなくなったり、何を信じるべきかわからなくなったりするような不安定な世の中であるということは戦国時代と共通する部分もある。

だからきっと今の時代にも、茶の湯のような時間は必要なのかもしれない。

 

いつも何かに追われていて、忙しなく考え、動き、1日を終える中で、じっくり内なる精神と向き合っている人はどれほどいるのだろう。

 

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不安定な時代に、揺るがない精神を磨く

「日本人は休むのが下手だ」

と言われることも少なくないけど、たしかにそういう時間をちゃんと設けようと意識しなければ、「あれやらなきゃこれやらなきゃ」と動いているとあっという間に月日が過ぎてしまう。真面目な人は特にそうだ。

 

わたしが今やっているコミュニティ「ミレラボ」でも、自分の身の振り方をただす時間を作ろうと思って少し前から「茶会」を始めてみた。

武士たちが酒だけではなく茶を嗜んだというところに意図を探れば、わたしも飲み会ではなくお茶を飲みながらメンバーと深い交流がしたいと思った。

もちろん飲み会だって腹を割って話せるときだってあるし、普段は言わないような話ができることだってある。

 

だけどわたしは、酔っていない平常心の状態で、そういう腹を割った関係をしっかり築きたいと思う。

酔わないと本音を言えない関係は、どこか刹那的で、日常と分断されてしまいかねない。

そういう、お互いの弱ささえも向き合うことが、茶の時間の醍醐味なのだろう。

 

 

こういう時間作りを意識し始めてから、普段の生活でもまず朝起きたらお湯を沸かしてお茶を飲んだり、白湯を飲むようになった。

ほんの10分ほどの時間だけど、忙しいときはこの10分すら惜しくなるときがある。

 

すると

「あ、今日なんか心がざわついてるな」

というのが、だんだんと把握できるようになってくるのだ。

 

心がざわついている日は、目の前のお茶を味わおうとせず、頭の中でぐるぐるとタスクを考えたり1日のスケジュールを考えたりして「心ここにあらず」の状態になる。

 

その状態が続けば、何をやっていても頭の中では別のことを考えるようになり、目の前のことに向き合えなくなる。

 

そういう精神状態にちゃんと気づいて、朝のうちに正したうえで1日を過ごせるようになると、物事への取り組み方も、人との向き合い方も変わっていくと思う。

 

 

きっと武士たちも、過去を悔いたり未来を憂うことなく「今この瞬間」に向き合うために、茶を愛したのかもしれない。

 

 

▼戦国時代の茶と武将たちのつながりを描いた漫画。めちゃくちゃ面白いです。

『へうげもの (1)』/山田 芳裕 (Amazonページに飛びます)

 

 

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