2023/12/24 お皿の本懐

 

 

ある日、たまらなく

寂しさと虚しさに襲われた時がありました。

 

これといった原因は見当たらないけど

おそらく、日々の些細な出来事の中で

蓄積された、小さな焦りとか、不安とかが

自分の中でぐわーーーっとうごめいてるような感じで。

 

 

でも、こんな状態でいい仕事はできないし

人とも話せないから

必死に落ち着かせて、ゆっくりごはんを味わって

一呼吸置いて。

 

そして

社員食堂の、洗い場のお手伝いに入りました。

 

その日は大量に洗い物があって

自分のことなど微塵も考えないくらい

2時間近く、無心でお皿を洗い続けてて。

 

 

最後に、

コゲがびっしりこびりついたプレートが

10枚くらいあって

「これはやりがいがあるなぁ・・・」

と、意を決してゴシゴシし始めたのですが

 

1枚、2枚と洗っていくうちに

なんか、わからないけど

気持ちが軽くなっていってる自分がいて。

 

 

そこで、はっと気づいたのが

 

あぁ、

この、こびりついた汚れは

わたしの中にこびりついてる

感情の汚れ

であり

思考の汚れ

なんだ、と。

 

 

自分の都合、

自分の事情、

ばかり考えてたら、苦しくなるよって。

 

そりゃ、自分のことしか考えてないんだから

虚しくもなるよなって。

 

だったら、虚しさも、寂しさも、

感じるヒマがないくらい

 

目の前の人に

目の前のことに

無心で向き合ったら?

 

お皿が教えてくれてるような気がして

何かを訴えかけているような気がして

 

自分の中のこびりついた目に見えない汚れを

少しずつ剥がすように

最後の1枚まで、ピカピカに洗い上げたのでした。

 

 

途中からはもう楽しくて仕方なくなって

もはや、目の前のお皿と自分が融合して

「このお皿はわたしで、わたしはこのお皿なんだ」

って思えて

(ちょっとぶっ飛んでるって思われるかもしれないけど。笑)

 

洗い場って

本当に尊い場所だなと思いました。

 

 

普通なら、誰もやりたくないであろう皿洗い。

 

されど、どこまでも深く追求できて

単純な行いの中に、人生を動かすほどの

啓示が含まれていたりする。

 

皿洗いに限らずですけどね。

どんなに

めんどくさいとか、やりたくないとか、

思うことも

目の前にやって来たからには

自分の事情とか感情は一旦置いといて

誠心誠意もって

取り組みたいなと思います。