2024/01/04 「当たり前の中の、当たり前じゃないもの」

 

能登半島地震から3日経ちましたが

未だ現地の方は苦しい思いをされていることと思います。

一日も早い復興を、心より願っています。

 

 

2018年、わたし自身も、北海道地震で被災しており

あの時は、最大震度7

住んでいた札幌は、震度5強を記録しました。

 

自宅は丸2日間停電、断水

友人が運営していた宿泊施設が

運よく早めに電力が戻り、避難させてもらっていました。

 

 

命があって、ごはんをいただけて、

眠りにつくことができるありがたさを噛み締めて

被災してなお生き永らえた者として

自分にできることは何だろうと

必死にその時のことをメモに書き殴っていました

(電気が使えないから、ひたすらアナログで。

スマホもPCも充電が切れたら終わりなので)

 

>>2018年9月6日、北海道地震を札幌で経験したときに書き残したメモ

 

電力が戻ってからも

SNSなどで、少しでも役立ちそうな情報を

発信し続けていましたが

 

>>【北海道胆振東部地震】私が札幌で被災したときの時系列と記録

 

それと同時に、感じていたことは

「無事だった人、何事もなかった人は

いつも通りの日常、

いつも通りの発信をしてほしい」

ということでした。

 

 

もちろん、配慮していただくのは

ありがたいことだったのですが

あまりに過剰な自粛ムードは

精神的にもなかなか応えるものがありました。

 

 

次は、いつどこで、どんな災害が起こるかわからない

だからこそ

なにげない日々を

大切な人たちと笑っていられることが

どれだけ尊いことなのか

噛み締めて過ごしてほしいし、

 

今目の前にある生活を

まっすぐに、全力に、なりふり構わず過ごしてほしいと。

 

 

だからわたしも、今は、

当たり前の日常の中にある

当たり前じゃない出会い、経験を

ただただ、伝えていくことに

徹したいと思います。

 

 

それはただ、

何も考えずのんきに過ごすということではなくて

今この瞬間にも、大変な想いをしている方たちが

いるということを、感じた上で

わたしは、わたしの日常を大事にする、ということです。

 

 

実はそれって、今だけのことじゃなくて

世界を見渡せば、毎日のように

自分が笑っている裏側で

争い、傷つけ、

誰かの命が奪われ、

誰かが悲しんでいると思います。

 

(目に見えてない、知らないだけで、

そういう出来事は、日々数え切れないくらい起こってる)

 

 

気にしはじめたらキリがないけど

でも、そういうあらゆる背景を感じて生きるのか

何も考えず、見てみぬフリして生きるのか、では

命の重み

日常の価値

の感じ方が、変わってくるんじゃないかな

と思うのです。

 

 

少なくともわたしは

世界中にあるたくさんの悲しみに

想いを馳せて

その上で、笑って生きたいし

そんな言葉にならないたくさんの感情を

なんとか言葉にして

伝えていきたいです。