最近、海外でも話題となったドラマ『SYOGUN ー将軍ー』で
日本の伝統音楽(雅楽)を取り入れた編曲アレンジを担当された
石田多朗さんのYouTubeを拝見しました。
これまで雅楽をやってきた身としては
とっっっっても面白くて、
言語化できていなかった部分を明確にしてもらったような感じがしました。
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つい先日、石川県の白山ひめ神社にて
ゆにわのメンバーと参拝させていただきましたが
今回も雅楽隊で奏上させてもらいました。
今回演奏するにあたって
「うちらにとっての雅楽とはなんなのか?」
というのを、突き詰めていきました。
夜な夜な練習をして、みんなで議論を重ねる中で
ひとつ見えたのが
〝一体となること〟
で。
雅楽は、一人だけ上手に吹けてもあまり意味がないというか
全員が調和していて、でも没個性的ではなくて
それぞれに色がハッキリあるけれども
絶妙なバランスで溶けあって融合している感じというか。
それはまさに大自然のような
木があり
風があり
太陽があり
鳥が鳴いている
それぞれバラバラなものが美しく共存しているような姿で
そういうのを、演奏においても目指したいし、
普段の生き方から、人との関わり方から、
そういう〝雅〟な振る舞いをしたいよね、と話していたところで
冒頭の石田さんの動画を拝見して、
「雅楽は自然と一体になるために吹いているものだった」
という話が、あまりにドンピシャ!で
タイムリーなお話だったのでした。
雅楽というものを
一体誰がなんのために作ったものなのか?
というのはわたしもずっと不思議に思ってきましたが
「人間に聞かせるために作っていない」
というのがとてもしっくりくるなと思います。
自然や神に捧げる音楽。
というかもはや
人間も自然の一部として生きるための手段として
雅楽があるのではなかろうかと。
実際に演奏していると、
だんだん変性意識になっていくというか
自分と、自分以外の境界線がなくなっていくような
空間と自分がひとつに溶けあっていくような感じがして
古(いにしえ)の人たちはきっと
神と自然と人とが交わるために
音楽というものを奏でてきたのだろうかと
思いを馳せながら、わたしも龍笛を吹かせてもらいました。
あとはこの感覚を、雅楽以外のところでも活かすのが大事だなと。
演奏するときだけ雅で、
それ以外のときは雅じゃないというのは
本当の意味で〝雅楽〟はできないと思うので。
普段の日常から、
どれだけ人と境界線なく関われるか。
自然を感じて、大いなる働きを感じて、
いまの人生というものをどう捉えるか。
いつもやっている仕事を
雅楽のように、奏でるようにできているか。
そういう生き方の集大成が、音に乗るのだと思います。

PS
最近は『国宝』という映画も公開されているし
日本の伝統を顧みるタイミングなのかなぁと思ったり。
まぁわたしは吉沢亮と横浜流星推しなので
とにかく早く観に行きたいです。