
大阪に引っ越してきてからもうすぐ6年ほど経ちますが
2019年末、わたしは突如
「コーヒー修行はじめます」
と言い放って、しばらく発信をしなくなった時期がありました。
当時は
「とうとうアイツも落ちぶれたか」
「どうせブログで食えなくなったんだろ。ざまあ」
というネット民の心温まるコメントを頂戴しましたが、
そんなコメントを見ている暇もなく
ひたすらコーヒーを淹れるのに明け暮れた日々でした。
修行先である「シロフクコーヒー」との出会いは
過去のブログ記事にもたくさん書いてるので割愛しますが
「コーヒーが一滴も飲めないくらい嫌いだったわたしが、大好きになった」
という衝撃体験をしたこと、
そしてそこで働くメンバーがものすごく良い表情で、きらきら輝いていたこと。
好きなことを仕事にしていたはずのわたしが
燃え尽きて無気力になって
人生迷子になって彷徨っていたところから
こんなふうに働きたいなと
こんな人たちと一緒に生きていきたいなと心の底から思い
「ここで修行させてください」
と直談判をして、人生を変えてもらった場所であります。
そこからは、コーヒーを通して、
〝世界の見方〟
が変わりました。
コーヒー豆を収穫するのに
コーヒーの木を5年以上かけて大切に育てる現地の人々
世界中から何ヶ月もかけて
何百人、何千人もの人が関わって
ようやく店にコーヒー豆が届くという臨場感
コーヒーなんて当たり前にあると思っていたものが、
無数の縁起の糸でつながっていて
そのどれか一つが途切れていたら
コーヒー豆は届かない
そんな奇跡の連続で、
自分の手元にやってきているんだというありがたさを
毎日感じていました。

コーヒーを一杯淹れるたびに
豆とお湯が混ざりあって
コーヒーという新たな生命が誕生する瞬間に立ち会うたびに
「これって、人生も一緒だな」
と思うようになりました。
自分が今ここに立っていることすらも奇跡で
いろんな人の支えがあって、出会わせてもらったこと
一人でビジネスをやり続けていたら
決して辿り着かなかったであろう景色が見れたこと
一生ついていきたいと思う恩師と出会い、
この人たちのためなら命かけてもいいと思えるくらいの仲間ができて
これまで出会った人、別れた人、起こった出来事、
すべてのことが美しく愛おしく思え、
自分の人生は、何一つ自分だけでは成り立たなかったことを思い知りました。
そして、そうやって人生を変えてもらったように、
わたしもまたコーヒーを淹れるという行為を通して
誰かの人生を変えるきっかけを紡ぎたいという思いが
ふつふつと湧いてきたのでした。
そのときようやく、
「わたしの人生はもう十分満たしてもらった。
これから先の人生は、自分を満たすためじゃなくて
これから出会う誰かの人生のために使いたい」
と、素直に思えるようになりました。
そこから5年経ち、
今は部署を移動して、
「ゆにわマート」のスタッフとして働いていますが、
仕事の形が変わっても、やるべきことは変わらないし
究極、何をしてても
自分の一挙手一投足が
誰かの人生を変えるきっかけになるかもしれない
と思って生きるようになりました。
そう思うと、一つのことに取り組むときの
密度と、深度が、ケタ違いに変わって、
なにげない、ありふれた日常を送っているはずが、
何をしてても学ぶことがありすぎて、
嬉しい悲鳴をあげるようになりました。笑
6年前と、同じ24時間を過ごしているはずが、
今は24時間で1年分学んだようなときもあって
これが、1日で10年分くらいの時間の密度を過ごせるようになったら
どうなるんだろうなぁと思いながら過ごすようになりました。
「時間とはすべての人に平等ではない」
とアインシュタインが言っていたような気がしますが
(直接そういう言い方はしてないと思うけど)
誰かのために生きると決めたときから、
時間というものが何倍も濃く、意義のあるものになりました。
本を読んでても、「この話、あの人に伝えたいな」と思うし
ごはんを食べてても、「今度あの子を誘ったら喜ぶかな」と思うし
誰かに届ける前提でいたら、インプットもアウトプットも高速回転になりますね。
いろいろ話が逸れましたが、
今の時代、退屈しのぎのために時間を費やしている人が増えてるだろうなと思います。
それでいいならいいのですが、きっと違和感を持っている人だって少なくないはずです。
そんな人たちに、なんしか、わたしの人生を通して生み出された言葉たちが、届くといいなと思います。
PS:
8月11日に迫ったビッグなトークイベント「むすび祭」、準備も大詰めです。
きっと1日が1年分、いや、10年分以上の密度に感じるような、濃厚な時間にしますので、ぜひ。
↓
(あんちゃはトークはしないけど、雅楽演奏ででます。まさかの。)
※写真は修行始めた直後くらいの、5年半前くらいのやつ😂