
新しいことや、世間の価値観から少々ぶっ飛んだことをすると、たいていは批判され、揶揄され、嘲笑われます。
何かを貫いてる人、常に挑戦をやめない人、人並みはずれた熱量を持つ人は、
大衆からは異質な存在とみなされ、多かれ少なかれ必ずそういう風当たりの強さを経験します。
わたし自身も、ブログで独立したときやオンラインサロンをやっていた頃は
「一発屋」だの「教祖ビジネス」だの毎日のように言われました。(笑)
(結局一発屋にはならなかったので、ご期待に添えなかったかもしれません😌)
コーヒー修行を始めたときは「落ちぶれた」と、
仲間たちとコミュニティづくりをすると決めてからは「宗教」だと揶揄され
(そもそも「宗教=悪」という認識自体、世界中の宗教を敵に回してますけどね・・😌)
もちろん自分がすべて正しいとも思いませんし、
挑戦した結果「失敗したな」「違ったな」と思うことの方がむしろ多いくらいで
うまくいかないこと、報われないことは山ほどありました。
けれど、人生長い目で見れば、そのうまくいかなかった、報われなかった経験によって
のちの、また新たな挑戦をする糧になり、これから挑戦する人たちの背中を押す材料になることを知りました。
たくさんの批判によって葛藤し、苦しみ、悔し涙を流した日は数えきれませんが、
その経験のおかげで、だれかの葛藤に寄り添い、苦しみを同じように感じ、一緒に悔し涙を流すこともできるようになりました。
自分が痛みを知った分だけ、誰かの痛みをともに背負い、一緒に乗り越えていけることの幸せを実感しました。
だから今では、ヤジを飛ばしてきた顔も名前も知らないどっかの人にも、感謝しています。
わたしの人生に深みと味わいを与えるきっかけになってくれて、ありがとう、と。
*
いまの若い世代はとくに、優しくて、繊細な人が多いから、
周りから何か小言をいわれるだけでも挫けてしまう人が少なくないと思います。
でもそれはすごくもったいないことで
「この道に進みたい」という、まじりけのない純粋な願いをいかに貫けるか、という力がなおさら必要とされている気がします。
たとえその道が行き止まりでも、自らの足で道を突き進んだ過程そのものに価値がある。
周囲の人からは、道の先にある結果ばかり求められるけど、
本当の意味で自分の人生を豊かにするのは、結果だけじゃないよというのは、伝え続けていきたいところです。
そのためには、まずわたし自身が、決めた道を進み続ける背中を見せていかないとな、と思います。
ps.
というわけで、ともに道を歩むと決めた仲間たちと開催するビッグなイベント「むすび祭」、開催まであと9日です。
↓
風当たりの強い道を、命がけで進んできた人生の先輩方が、ゲストで登壇されます。
(わたしも早く聞きたい!)
ぜひきてね!
ps2.
写真は、ただの近所の道です。