どうもあんちゃです。
わたしがただのOLだったところから、勢いで独立して4年半が過ぎました。
長い道のりだったようにも思うし、毎日毎日濃厚すぎて、気づけばもうこんなに経ってた…という感覚もあります。
(気づけばわたしも20代最後の年・・・!)
毎日刺激的でウェイしてた時期もあれば、金と数字に目が眩んで闇堕ちした時期もあり。
いろんな出会いで人生の幅が広がったタイミングもあれば、人を信じられなくなって孤独に苦しんだときもあり。
(自分の心境変化に伴い、売上もジェットコースターのようになっていた。笑)

酔いも甘いも一通り経験し、最終的には周りの人に救ってもらったおかげで、
SNSの総フォロワーが8万人くらいになったり
本を出版させてもらったり、
ブログもYouTubeも、毎月数万人、数十万人に見てもらえるようになりました。
(いつも見てくれてるみなさま、ほんと、ありがとうございます。)
今は、
ひょんなことから出会って一目惚れしたコーヒー屋で修行一目惚れしたコーヒー屋で修行させてもらったり、
同じ情報発信でメシ食ってる仲間と新しい企画考えたり、飲食店のプロモーションに携わらせてもらったりと、賑やかに働いております。

そんなわたしが、これまでの発信活動を通して見えてきた「人生のテーマ」があります。
それは・・・
「”究極”の凡人として、等身大で働き、稼ぎ、生きる」ということ。
等身大で働き、稼ぐ。
情報発信ビジネスって、きらびやかなインフルエンサーとか、個性際立ったキャラの濃い人とか、一芸に秀でまくった人とか、そんな人が成功するってイメージあるじゃないですか。
むしろそうならないと結果でないって感じてる人は多いんじゃないかなと。
だから、情報発信で結果を出そうと思うと、みんな「ニセモノの自分」を作り出すわけです。
カッコよく見せようとしたり、常にマウントとるようなポジションにいたり、見栄張ったり・・・
だから、それを続けるほど、苦しくなる。結果を出すほど疲弊していくのです。
ニセモノの自分が独り歩きして、ホンモノの自分がどんどん突き放されていくから、長く続けられなくなるんですよね。
実際、わたしも発信を始めてから、気付かぬうちにオモテで見せる顔と、一人でいるときの顔が乖離していた時期がありました。
ありのままを発信しているように見えて、自分の本当に弱い部分は誰にも見せられない。(なぜならわたし自身が弱さと向き合うことを避けていたから)
外部から評価される「わたし」と、実際の「わたし」がどんどんかけ離れていって、誰も本当のわたしを見てくれない。
表向きのわたしのイメージが崩れることを恐れて、心の奥底にある不安や、葛藤や、孤独を打ち明けられない・・・。
その不安を埋めるようにお金を稼いで、毎日予定をびっちりいれて動いていたけど、やればやるほど虚しさも増していく。
そんな日々が1年ほどありました。
(こんな心理状態で発信しても、どこかしっくりこなくて、長らくスランプ状態でした)
自分だけではなかなか抜け出せなくてずっと苦しんだんですけど、周りの友人やライティングの師匠から
「いまのお前の発信は、お前じゃない」
とハッキリ言ってもらったことで、ちっぽけなプライドや、見栄や、劣等感が吹き飛んでいきました。(時間はかかったけどw)
そこからようやく目が覚めて、最終的には、「わたしにはきらびやかな地位や評価が無くても幸せだ」と思えるようになりました。
何かを手に入れたから幸せとか、お金があるから幸せとか・・・
「幸せ」って、外部から何かを得て実感するものではないって気づいたんですね。
(だから、どんなに外部要因を充実させても、内面が満たされてなければ幸せを実感できない)
面白いことに、そうやって執着を手放したときに、わたしの発信を評価してくれる人が現れたり、仕事を持ってきてくれる人が増えたりするんですよね(`・ω・´)
だからわたしは、自分の弱いところも情けないところも失敗も、全部さらけ出します。
特別な存在になりたいわけでもないし、本来の自分より良く見られたいとも思わないから。
実際わたしは派手な経歴もなければ、毎日きらびやかな生活をしてるわけでもなく、高価な服やバッグを持ってるわけでもありません。お金も全然使わない。
至って普通の生活をする陰キャラです。
けど、そんな普通の日常が、わたしにとっては死ぬほど楽しいのです。
毎日全力で仕事して、夜帰ったら布団にバタンキューして、ちょっと寝たらまた飛び起きて働く・・・
これだけ聞いたら「セルフブラック企業じゃん」と思われるかもですが、わたしにとってはこれが「究極の遊び」なのです。
どこか遠くへ行かなくても、刺激的な体験をしなくても、目の前にある平凡な生活の中に無限の楽しさを見出せる。
そういう視点を身につけられたら、日常からいくらでもコンテンツを生み出すこともできるのです。
***
そういえば数年前に著書を出版したのですが、その本のタイトルが
「アソビくるう人生をきみに」でした。
まさに、毎日が「アソビくるってる」状態なんですよね。
普通の生活を、あそびくるったように楽しみ倒す。
そう思えるようになったのは、「普通の人とはちょっと違う視点」で日常を見れるようになったからかもしれません。
人生で出会った”狂気じみた”人たち
わたしが、人と違う視点を身につけるきっかけになったことの1つとして
普通の人が絶対に行かないような場所に行き、ある意味”狂気じみた人”たちに出会ったというのがあると思ってます。笑
たとえば、群馬の珍宝館で「珍子さん」という下ネタ炸裂のヤバい館長さんに出会ったり・・・(笑)

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ネカフェのバイトで”チン”事件が勃発したり・・・

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バイブが数百本並ぶバーに潜入したり・・・

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(あれ?なんか下ネタばっかりだな??)
他にも、ぶっとんだ働き方をしてたり、どうやって生計立ててるか一切わからない謎の人たちにもたくさん出会い、
おかげで、凡人だったわたしの世界を大幅に広げてくれるような出来事がたくさんありました。笑
なぜそういうぶっとんだ場所や人に出会うのが好きだったのかというと、
「この場所に来る人は何を求めて来るのだろう?」
「なぜハマるのだろう?」
そういう人間心理に興味があったんですよね。
そこで、ある意味”狂気じみた人たち”の感覚を知り、物事をみる視点が広がった感じがします。
普通の生活をしながらも、普通じゃない感性でモノを考えられるようになったというか。
じつはこのバランスって重要だと思ってて、
普通の生活の中に、少しだけ「普通じゃない(=狂気)」視点を付け足すことで、
「普通でいながら、普通じゃない結果を出す」ことができると思うんですよね。
だから、わたしの人生のテーマが「等身大で働き、稼ぎ、アソビくるう”究極”の一般人になる」ことなのです(`・ω・´)
どんな状況でも「あそび」の要素を見いだす力
わたしにとっての「アソビくるう」って、別に働かずに遊び呆けるわけではないんですよね。
たしかに今は、働かずともある程度生活ができる仕組みができている状態ではあるのですが、それでもわたしは毎日休みなく仕事してます。
それは、仕事の中に「極上の遊び」を見いだしているから。
だから仕事が楽しくて仕方ない。
子どもの頃全力で走り回って遊んで、家帰ったらヘトヘトでバタンキュー、って生活をしてたみたいに、大人になっても同じような感覚で生きてるのです。
世の中には、働くことから逃げるために遊んでいる人が少なからずいるかもしれません。
けど、何をしてても「遊び」の要素を見いだす力がついたら、どんな状況でも楽しいと思うんですよね。
だから、まずはわたしがそういう生き方を示すことで、周りの人たちに伝えていきたいなぁと。
そして、そんな生き方をしていこうと決めてから、今一緒に働いている仲間や、メンター、師匠に出会いました。
ここ最近はずっと、「ストーリー作り」を学んで自分でもオンライン講座をやるようになったり、
歴史にどハマりして勉強しまくったり(特に日本の精神性や、古神道について学ぶのが面白い。)してて、どんどん自分の人生への解釈も、物事をみる視点もすこしずつ深まってきたなと実感してます。
(歴史に名を残す偉人たちも、例外なく「世界を変えるほどの壮大な遊び」をしてたんだなと、勉強するほど気付かされますね)
だけど、自分だけが楽しいのでは意味がないので、普通の毎日を送りながら、くるったようにあそび楽しんで生きていける人を増やしたいし、そういう視点を身につけるための話をどんどん伝えていきたいなと思います。
今は、そういう生き方そのものが「等身大で稼ぐ」ことにつながる時代です。
莫大な影響力をもつインフルエンサーや、カリスマ的存在にならないと、情報発信で成果出せないって状況ではなくなってきたし、
数だけじゃなく、人とつながる「質」が重要視されるようにもなってきました。
まずは目の前の相手と深い信頼関係を築いて商売をする。その小さな積み重ねが、大きな影響力(成果)を作ってく。
これが、等身大の働き方であり稼ぎ方だと思います。
とまぁそんな感じで、今後もこういう話はバシバシ書いていきたいので、引き続きおたのしみに(`・ω・´)
わたしのまわりには、狂気じみた「究極の一般人」がまだまだたくさんいるので(笑)、ブログでもどんどん紹介していきますねw
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