25歳の私が会社を辞めてまで人生懸けてブログを書く意味を教えよう

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会社を辞め、ブログで生計をたて始めて10ヶ月。

最初はよくこんなことを言われた。

「ブログなんて会社行きながらできるじゃん」

「ブログで稼ぐなんて効率悪すぎでしょ」

と。

 

自分でも確かにそう思った。

でも、会社を辞めてでもブログに集中したかった。

そんな人生を懸けてまでブログをやる意味はどこにあったのだろうか。

 

わたしにはブログしかなかった

わたしは生まれてからブログをやるまで、これといって得意なものがなかった。

ピアノも習ってたし

絵も描いてたし

吹奏楽もやったし

一人旅にもいったけど

ずば抜けて「これだ!」ってものがなかった。

 

心から好きだと言えるかといわれると自信がなかった。

自分よりピアノ上手い人は腐るほどいるし、絵が上手い人も身近にいた。

旅を仕事にしてる人もいたし、わたしはなにをとっても中途半端だった。

 

社会人になって会社に入っても優秀な同期がたくさんいて、わたしに何ができるかわからなくて、

言われたことをただこなすことくらいしかちゃんとできなかった。

 

その中でたまたま出会ったブログに、心からのめりこむようになった。

初めての経験で、「わたしはここでなら活躍できるかもしれない」と思った。

 

初めて胸を張って言える「好きな事」ができたのだ。

 

その「好きな事」を、会社行きながら片手間でやるなんて無理だ。

やっと見つけた好きな事なんだから、とことん突き詰めたい。

ブログは心から好きだと言えることだった。

だから、人生をかけて、会社を辞めて取り組んだ。それだけの理由だ。

 

中途半端な自分へのコンプレックス

ブログをやっている人のなかには、ブログ以外にも得意なことを持っている人がたくさんいる。

音楽をやってる人、料理ができる人、整体師の人、英語ができる人、スポーツができる人。

ブログで発信しながらも自分の得意なことを活かす人をみて、すごくうらやましかった。

わたしには何もないからだ。

 

ブログにすがるしかないという思いもあった。

だからこそ、ブログだけは絶対に負けたくない、誰よりも伸ばしたいという気持ちでやってきた。

もちろんわたしよりたくさん収益を出しているブログもあれば、圧倒的にアクセス数を集めるブログだってある。

 

でも、わたしのブログにはわたしにしか出せない味がある。

わたしにしか書けない文章がある。

その点においては、わたしのブログは一番なのだ。わたし以外誰にも書けないのだから。

 

まわりに良い影響を与えられたという”生きがい”

もちろんブログも最初から好きだったわけじゃない。

最初なんか誰にも読まれずどんどん自信をなくす一方だった。

ただ途中から少しずつ身近な人が読んでくれるようになって、「面白いね」と言ってくれる人が増えて、はじめて好きだと思えた。

 

自分が作ったものを「面白い」「楽しみにしてる」「元気でた」と言われた経験は初めてだった。

自分がだれかに何かしらの良い刺激を与えられたことに、今まで感じた事のない感動を覚えた。

わたしは今まで好きな事を見つけようとしていたのではなく、好きな事を通して自分が誰かに良い影響を与えられることを探していたのかもしれない。

 

それに気づけただけでも、人生かけてブログをやった意味はあったように思う。

なぜなら誰かに良い影響を与えられることは、わたしの生きがいになっているからだ。

人生をかけてのめりこめるものが見つかっていない人は、好きじゃなくても1度いろんなことに没頭してみるといいと思う。

 

没頭してもだめだったら、またほかのことに没頭すればいい。

大事なのは、足を止めちゃいけないことだ。

わたしも25年間いろんなことに没頭して、飽きて、没頭して、を繰り返してやっとたどりついたものがブログだった。

 

もっと多くの人に、人生かけて何かにのめりこむ経験をしてほしいと思う。

 

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執筆屋あんちゃ
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