無題

 

 

 

 

ああああーーーーくそっ!!!!!!

 

 

 

って思っている。わたし自身に。

 

 

なんだか今日は心が落ち着かなく、モヤモヤしたものが頭ん中に滞留してるので
それを吐き出すために言葉にしている。

 

 

もっと死ぬ気で自分のやるべきことに無我夢中で取り組みたいという気持ちがありながら

身体がついていかなくて何も動けなくて、そしてそんな自分の有り様に嫌気が差す・・・なんて経験は腐るほどあって、今もそんな状況にある。

 

 

 

なんていうかこう、エネルギー切れみたいな

顔が濡れて力が出ない〜みたいなショボい状態になってるのが自分でもわかる。

 

わかるけど動けない。クソっ!!ってなってる。

 

 

エネルギー切れになると、さらにエネルギーが無くなるような行動をしてしまうわけだけど
今日はちょうど東京に出張中だったので、宿についてたテレビをおもむろにつけてみたら

情熱大陸がやっていて、今日はking gnuの特集だった。

 

 

驚くべきことに彼らはわたしと同年代(26,7歳)であることが判明して

どんな生き方をすれば26,7歳でこの貫禄が出るのだろうと思いながら
なんだか無性に悔しさがこみあげた。

 

 

別に年齢なんて関係ないんだけど
でも自分と同じだけの、平等に与えられた時間を生きてきて
これほど命を燃やしている人たちがいるんだなぁと思うと

 

不甲斐なさとか、未熟さとか、弱さとか停滞感とか、あと底知れない絶望感とか

そんな、なんかドロドロした感情が湧き上がってきた。

 

 

でも、別にこれらの感情が悪というわけじゃなくて
これを前進のエネルギーに変えればいいわけだけれど

 

まぁそんなことどうでもいいからさっさと寝ようぜっていう自分もいて

いろんなせめぎあいが起こっている。

 

 

 

こういうときはたいてい、

自分が過去に大きな決断をしたときのことや

人生を変えるきっかけとなった人たちの言葉を思い出したり

仲間の奮闘を見ることで

初心に帰ることができる。

 

 

こんなしょーもない状態でくよくよしてる暇ねーわって、冷静に気づかされる。

 

 

わたしらには、基本時間がない。

 

 

だから、うだうだ悩む暇なんてない。
(それでも悩んでしまうのが人間なんだけど)

 

 

 

明日になればまた仲間たちと顔合わせて仕事をする。

 

大体わたしがズーンってなるのは1人になったときなので

 

大切な人たちが目の前にいると
問答無用に悩む隙はなく、その人たちのために動くことができる。

 

 

結局わたしは周りの人に生かされているよなぁって実感する。

周りのためにと言いながら、ホントは自分が一番救われている。

役割を与えてもらっていることで守られている。

 

 

だから、くよくよ葛藤したりするけど、
わたしもいつか、周りの人を支えられる人間になろうって思いながら

あとちょっとだけ仕事して寝ることにする。よし。

 

 

 

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執筆屋あんちゃ
執筆屋です。意識高い人生哲学から下ネタまで幅広く。 大阪の珈琲屋「シロフクコーヒー」のバリスタ▶︎系列店「ゆにわマートオンライン」に最近異動しました。最近はよくインスタにいます。

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