他人にどう見られるかより、自分がどうありたいかを優先させれば人生ラクになる

「人からよく思われたい」
「魅力的な人物に見られたい」

そういう願望は誰にでもあると思います。

 

だけどこの思いが増えすぎると、他人の期待を満たすために自分が存在しているような感覚になってしまいます。

実際2年前までのわたしは、「人にどう見られるか」を優先しすぎた結果、自分の首を自分で絞めていました。

 

他人の評価を気にしすぎると、自分の軸がなくなる

今までのわたしは、自分が「どんな生き方をしたいか」よりも「どうすれば人に嫌われないか」「いかに他人に評価されるためにどうするか」ばかりを考えていました。

自分の人生の軸を定めるよりも、表面的な体裁を整えることばかりに気を取られていたのです。

 

自分が一本の木だとすると、一番重要な根っこから幹の部分に栄養を与えるよりも、枝葉の花を咲かせて自分を良く見せることばかりにエネルギーを使っていたということです。

でも肝心の幹がしっかりしてないと、枝葉は枯れてしまうしそもそも木として立っていられないですよね。

2年前までのわたしはまさに、表面的な綺麗さを取り繕うのに必死な、今にも倒れそうな木だったのです。

 

「他人にどう見られるか」よりも「自分がどうありたいか」を優先して考える

そしてこのブログを始めた2年前に、「このままじゃダメだ」と思い始めてからいろんなチャレンジをしては失敗し、人に笑われたことで、今まで必死に取り繕ってきた表面的な体裁が一気に崩れました。

関連記事:人からバカにされ笑われる経験は成功する人の必須条件だ

もちろん最初は「嫌われるんじゃないか」「本当の自分を見せて引かれたら怖い」と思っていましたが、結局今となっては以前よりものすごく生きやすくなりました。

 

他人の評価ばかり気にしていたときは、一挙一動をまわりに合わせたり、視線を伺ったりして生きていました。

他人の評価や機嫌に自分の行動を左右される生き方は、とても息苦しくつらいものです。

 

そこから「他人がどう思うかよりも、自分の思いを優先しなきゃ」と気づいたので他人にどう思われようと「自分がどうしたいか?」で物事を考えるようになり、本心をさらけ出せるようになりました。

いままで息苦しく肩身の狭い人生だと思っていたものが、一気に気楽になったというか…肩の重荷がおりたような感覚になったのです。

 

他人の評価や常識にとらわれない”太い幹”を作る

世間一般に言う「真面目で善い人」の多くは、他人の評価を気にしながら常識に沿って生きている人たちのことをいうのかなと思います。

もちろんその生き方が幸せだという実感があるのなら問題ないのですが、息苦しいと感じているのであれば、それは少し生き方を変える必要があるかもしれません。

 

そのためには「自分はこうありたい」という強い意志が必要になります。

他人の評価や常識を気にせず生きるには、雨風に屈しない太い幹が必要なのです。

あなたが自分の人生をどう動かしたいのか?どんな生き様にしたいのか?

それが明確になって、はじめて他人の評価や常識に左右されない生き方ができるようになる。

 

太い幹は1日やそこらでは丈夫になりません。

常に考え続けて、その生き方を実践して初めて丈夫な幹になります。

 

わたしはそこがはっきり見えたので、もう他人の評価や常識に左右されない生き方ができるようになりました。

あなたは「他人にどう見られるか」より「自分はどうありたいか」を優先できていますか?

 

▼こちらの記事も読まれています

関連記事:「他人を傷つけるのが怖い」という人は自分を一番傷つけている。

関連記事:「人に迷惑をかけない」なんてできるわけない。そんな生き方は驕りだ

 

この記事をSNSでシェアする↓
ABOUT US
執筆屋あんちゃ
執筆屋です。意識高い人生哲学から下ネタまで幅広く。 大阪の珈琲屋「シロフクコーヒー」のバリスタ▶︎系列店「ゆにわマートオンライン」に最近異動しました。最近はよくインスタにいます。

>>詳しいプロフィールはこちら