吉田松陰「人を信じすぎる欠点があっても、人を疑いすぎる欠点はないようにしたい」

 

幕末の志士である吉田松陰の言葉。

人を信ずることは、もちろん、遥かに人を疑うことに勝っている。わたしは人を信じ過ぎる欠点があったとしても、絶対に人を疑い過ぎる欠点はないようにしたいと思う。(講孟箚記)

 

 

最近のわたしが胸に深く突き刺さった言葉です。

 

今まで一人でいることが好きで、他人に干渉されるのを極度に嫌い、わたしもまた誰かの人生に深入りすることを避けて生きてきました。

だけど心のどこかでは言い知れぬ孤独感があって、ほんとはもっと身近な人たちと深い信頼関係を築きたい、と思ってたんですよね。

 

 

でも「人は人、自分は自分」ってずっと切り分けてきたせいで、損得抜きで真摯に向き合ってくれる人とか、悩みを何時間でも聞いて親身に話してくれる人の存在が、最初は理解できませんでした。

「これだけしてくれるなんて裏があるんじゃないか?」 とか疑ったりもしました。

 

 

わたしが情報発信をはじめて、少しずつ影響力がつきはじめた頃は「ブログで稼ぐ方法教えて」「ノウハウがほしい」というように、わたしの人間性ではなく持っている情報を目当てに近づいてくる人が少なくありませんでした。

「じゃあ、そのノウハウを持っていなかったらわたしは必要ないのかな?」
と虚しくなり、人と会うことををだんだん避けるようになったりもしました。

 

新しい人と出会えばまた何か奪われるんじゃないか、と、一層人を疑うようになったのです。

誰を信じればいいかわからず、尚更一人の殻に閉じこもるようになっていきました。

 

 

でもそれは結局全部自分が蒔いた種で、わたしもまた同じように、人をメリットデメリットで見ていたのです。

 

「損得抜きで自分と向き合ってくれる人が理解できなかった」ということは、自分が人に関わるときはメリットがないと動かない、ということの裏付けでもあります。

 

それに気づいたとき、なんてわたしは人を信じる力がなく、そして浅はかな人付き合いをしてきたんだろうと痛感しました。

 

 

人を信じられなくなったのは、自分もまた人に信頼されるような在り方じゃなかったから。

まず自分の在り方を正さなければ、深い信頼関係は築けない。

 

自分が持っている情報やステータスじゃなくて人間性を見てもらいたいなら、

自分も同じように、相手をステータスではなく人間性を見て接する。

 

 

だから、冒頭の吉田松陰の言葉を見て、自分から人を疑うことをやめ、まずは身近な相手から、信頼して向き合っていきたいと思いました。

 

 

現代は「深入りしない・干渉しないさっぱりした人間関係」が増えてきたから、表面的にはつながっているけど心の奥ではみんな孤独を抱えている…という場面が少なくないと思います。

その点では私のように、「人を信じる覚悟」が不足している人が多いのかもしれない。

 

強い信頼関係とは、まず自分からあらゆる人の立場や考え方を受け入れる覚悟をすることから始まると思います。

意見の食い違いや衝突を、愛を持って向き合い続ける覚悟を持たなきゃいけない。 簡単なようですごく難しいけど、そんな泥臭い積み重ねが、「人を信頼する」ということなのではないかなと。

 

 

んー、めっちゃむずい。(笑)

でもわたしの課題はここにあるので、今まで散々逃げてきた分、向き合わなきゃいけないタイミングだと思って、がんばってます。

 

 

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