こんちは。
いまわたしがバリスタ修行している「シロフクコーヒー」、最近はありがたいことに忙しくなってきました。

休日はかなり混雑することもあるのですが、少し前までは人手がいなくて、店頭を一人で回すときがあったんですね。
接客して、レジ打って、エスプレッソ作って、ドリップ淹れて、皿洗って、店内掃除して・・・っていうのを全部やるわけなんですが、
あるとき、お客さんがダダーッと来店されて、注文が一気に7〜8件入ったことがありまして。
で、そこに、いつも来てくれている常連のお喋り好きなお客さんがいらして、わたしはその7〜8杯のドリンクを作りながら、そのお客さんと話してました。
ただ、お客さんと喋りながら、ドリンクを丁寧に素早く作るって、死ぬほど不器用なわたくしにとっては、結構難しくてですね・・・
トークに集中すれば手元が狂い、たくさん列ができている中でドリンクの提供が遅れる。
しかしドリンクに集中すれば、会話がテキトーになってしまうというジレンマを抱えるわけです。
でも常連さんは大切にしたいから、ちゃんと接したい・・・!
そういうときに「どっちを取るか・・・!」といつもせめぎあうのですが、、
これに関して、以前、店長のこがさんからこう言われたことがあります。
それは、
「AかBかどちらかを切り捨てて、どちらかを選ぶという思考はやめろ」
ということでした。
要するに、AもBも両方取る。
両方最善の結果を残すには、どうするべきか?を考え続けろ、ということなのです。
(今回でいえば、お客さんと話すのも、ドリンクのクオリティを保つのも、両方最高のものにするにはどうするか?を考えろってこと)
至極シンプルに思えますが、実はこれが人間の盲点と言いますか・・・
人ってつい、AとB、2つの選択肢が与えられたら、「どちらかを選ばないといけない」という思考回路に囚われてしまうんですよね。
(おそらく、学校教育自体が「この中から正解を選べ」という教え方なので、日本人は特にそうなってしまうのかもしれませんが・・)
自分の気づかないところで、どちらが正しいか?どちらが良くてどちらが悪いか?とか、勝手に決めつけてしまうわけです。
これは、誰かがケンカしたときとかも一緒で、つい「どっちが悪いのか?」と悪者探しに走ってしまいますが、どちらにも正しさがあり、どちらにも非がある、という考え方だってできますよね。
(そうやって「お互い様」と謝りあって解決できたら理想ですが、そうはいかないのが人間の性・・・。笑)
話を戻しまして・・・
ドリンクをクオリティ高くスピーディーに提供し、
かつ常連さんとのトークも大事にするという、
一見すれば「無理じゃん」みたいな場面を両立させるには、その「無理」という思考の先にいかなきゃいけないわけです。
そうやって、「無理」という枠を超えた瞬間に、今まで思いもしなかったアイデアが降ってきたり、第三の選択肢が見えてくるんですね。
今回の件でいえば、
- ドリンクの提供に少し時間がかかる旨を、あらかじめ注文されるお客さんに伝えておく
- 常連の方には「あとでまたゆっくり喋りましょー!」と声をかけておく
- 常連さんはある程度信頼関係もあるので、手元と目線はドリンクに向けながら話す
などなど、いくらでも根回しができることに気がつきました。

情報発信をするのも一緒で、
よく「量が大事か、質が大事か」みたいな議論がありますが、結局は両方大事じゃないですか。(笑)
もちろん最初のうちは量をこなさないと質を高められないから、量を重視する時期があるというのも真実です。
でも、量をこなす中にも、毎回最大限のクオリティを出し切らないと、いつまでたっても質は磨かれないですよね。
たとえ質を磨く時期があったとしても、質にこだわりすぎていつまで経っても世の中に出せなければ何の意味もありません。
その両者のバランスをとっていかないといけないってことです。
結局は、そのときの状況・タイミングによって正解は変わるので、毎度毎度そのバランスは見極めていかないといけません。
これはほんといろんな場面で迫られる決断だと思います。
仕事と家族のバランス、
会社と趣味のバランス、
友人と恋人とのバランス・・・
どちらも大事にする道はなんだろう?と、常に考え続けた先で、新しい在り方が見えてくるわけですね。そうすると、人生の選択肢に柔軟性がでてくる。インスピレーションが湧いてくるようになる。
二元論を超えた世界を見るのは、いつも楽しいです。
ということで、今日はこのへんで!
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