『信用はそれが大きければ大きいほど、大いなる資本を活用することができる。
世に立ち、大いに活動せんとする人は、資本を造るよりも、まず信用の厚い人たるべく心掛けなくてはならない。(渋沢栄一)』
『社員は家族だ。仕事がないなら探せばよい。安易に仲間をクビにして残った者だけで生き延びようとするのは卑怯者の選ぶ道だ。みんなで精一杯やって、それでも食っていけなくなったら、みんな一緒に乞食になろうじゃないか。(出光佐三)』
この2人はそれぞれ、明治維新のときと、第二次世界大戦という激動の時代を生き抜いた実業家。
渋沢栄一は、幕末から明治にかけて、今のみずほ銀行や東急電鉄、帝国ホテルなど、誰もが知るような企業500社以上の創業を裏で支えてきた人であり、
出光佐三は、戦後すべての資本を失ったなかで、当時1000人ほどいた社員をひとりもクビにせず、ゼロからの事業の建て直しと、日本の復興に貢献した人です。
歴史を振り返ると、この二人のように、命がけで仕事をし、人を育て、国を支えてきた人たちの生き様をたくさん垣間見ることができるんですよね。
だけど、いまの学校教育では、これほど熱く生きた人たちの軌跡はほとんど語られず、
「〇〇年にこんなことがありました。」
という事実の羅列ばかりが載っている・・・。
だから、「歴史は暗記科目だから嫌い」「面白くない」という人が増え、学校を卒業したら、歴史を学ぶ人はいなくなる。
もちろんわたしもそのひとりでした。(笑)
そもそも、なぜ学校で習う歴史は面白くないのか?
それは、「その事実の裏側に、どれほどの人が、どんな思いで動いていたのか」という生き様のストーリーが一切描かれていないからです。
(それが偶然なのか、意図的にそうされたのかはここでは割愛・・・˘ω˘ )
実は、これは情報発信も一緒です。
たとえばブログを書くにしても、
「今日はこんなことがあって、これをやって、あれをやって、楽しかったです!」
という事実の羅列だけでは、ただの個人的な日記で終わってしまい、読む側からすれば「へぇ〜^^」としか言いようがない記事になってしまいます。
逆に、読む人の心が動く発信とは、
「その事実に至るまで、どんな思いがあって、どんな葛藤があって、どんな決意があったのか?」
という、内面から溢れ出る想いや姿勢=生き様の過程(ストーリー)が綴られているものです。
人の心を動かすには、自らの生き方をそのままさらけ出さなければいけないわけです。
学校の歴史の書き方はまさに前者で、
学ぶ側からすれば「へぇ〜^^」で終わってしまうものですが・・・
視点を変えれば、本当の歴史はもっと、情熱と知恵に溢れ、今を生きるわたしたちに必要な教訓が、山ほどつまっているのです。
(実際、現代は「信用経済」だとか言われてますが、渋沢栄一はすでに明治初期の頃からまったく同じことを言ってたんですよね)
正直なところ、わたしもつい最近まで自分が生まれた国のことを一切知らずに生きてきたのですが、ひとたび歴史の面白さ・奥深さに気づかされてからは、
歴史を勉強したことで、いまの自分の人間関係やビジネスにまで活かされるようになりました。
先人たちの数えきれないほどの叡智によって、いまのわたしの生活が成り立っていて、
命をかけてでも大事ななにかを守り抜いた人たちの生き様に、時空を超えて励まされているなと。
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歴史とは、「生き様のケーススタディ」だなと思います。
いまわたしたちが抱えている悩みや問題は、いつかの時代の人たちも抱えてたものだったりするし、
わたしたちが実現したいと願う夢は、遠い昔の時代の人が叶えていたりする。
だから、当時の人たちはぶち当たった問題をどう乗り越えたのか?どうやって偉業を成し遂げてきたのか?を知るだけでも、いまの自分の課題を乗り越えるヒントになるし、
いろんな時代の、あらゆる人たちの生き方を知ることで、自分の人生に誇りすら持てるようにもなる。
そんなふうに、今後の生き方を見据えるために、過去を顧みる価値があるんじゃないかな、とわたしは思うのです。
そうやって、どの時代にも精一杯もがきながら生きた人たちがいたことを、現代の人たちに伝えたいし、
それによって、自分の生き方に納得して誇りを持つ人が増えたらいいなぁと思って、わたしは日々勉強しています(`・ω・)
もしいまこれを読んでいる人の中にも
「歴史のことそんな知らんけど、もっと学んでみたい」
という人がいたら、ぜひ返信してください^^
またLINE@でもいろいろ書いていくので、お楽しみに!(感想も大歓迎!)