リアルで拠り所をなくした私のインターネットとの出会い。|「取り柄のない凡人」がコンプレックスだった私の人生ストーリー②

<前回の記事: ピアノの前で泣きじゃくる私と両親の離婚。|取り柄のない凡人」がコンプレックスだったわたしの人生ストーリー①

 

 

両親が離婚してバタバタしていた頃もピアノはずっと続けていた。

ピアノを練習している間だけは何も考えず弾くことだけに没頭できるから、楽しかった。

 

少しずつ、確実に上達しているのが感触としてあったのでどんどん練習した。

発表会でも、同世代の子より難しい曲を弾けるようになって、先生にも褒められて嬉しかった。

(その後、ピアノ界はバケモノのような実力者がたくさんいることを知って絶望する)

 

 

今思えばひとりでピアノと向き合ったり、黙々と読書したり絵を描いたりする時間が圧倒的に多かったのが、内向的なわたしを形成するひとつのきっかけだったのかもしれない。

他者との対話よりも間違いなく自分の内側との対話をする時間のほうが長かった。

 

 

小学5年生になったとき、母が再婚した。

 

最初に思ったのは「ようやく母が苦しまなくて済むんだな」だった。

わたし自身は誰が父さんになろうが、母が幸せならそれでいいと思った。

 

晴れてまた引越しをすることになったのだけど、ひとつ懸念したのは小学校を転校しなきゃならないことだった。

 

もともと友だちが多いタイプではなかったしひとりで図書館で伝記を読むのが好きだったから、次の学校でも同じようにすればいいと思ったけど、それでもやっぱり全く別の環境に移るのは怖かった。

 

 

転校初日、かすれるほど小さい声で自己紹介して、席に着いた。

何人かの子が話しかけてくれたりしたけど、そんなすぐ仲良い友だちができるわけはなく、しばらくはひとりで図書館に行ったりしていた。

 

 

転校して少し経ったある日、一人の女の子が声をかけてくれた。

わたしと同じように少し控えめなおとなしい子で、学校を案内してくれた。

 

個人的には気が合うし、ようやく友だちができるかもと思った矢先、別の子から「あの子嫌われてるよ」と耳打ちされた。

 

どうやらその子はクラスで暗黙的に仲間はずれになっているらしい。

わたしにはその子の何がダメなのか、まったくわからない。

 

だけどその日から、他の子の「アンナちゃん、あの子と仲良くしてるよ」という視線にだんだん耐えられなくなってきた。

今振り返ればただの思い込みだったのかもしれない。だけどこちらを見ながらなにか話しているようなそぶりを見かけるだけで、そう思わざるをえなかった。

 

 

 

ある日、ついにわたしはその子を突き放してしまった。

その子を守るよりも、自分が周りの人に嫌われることを恐れたのだ。

 

 

十何年経ったいまでも、あの子が悲しい顔でわたしを見たのが忘れられない。

 

 

なんて最低なことをしてしまったんだ、と激しく自己嫌悪に陥った。

だけど人に嫌われるのはいやだ仲間はずれは怖いわたしはどうすれば正解だったんだろう?と感情がぐちゃぐちゃに渦巻いた。

 

そこで、過剰に自分を卑下するようになり、他人の目を気にしはじめた。

最低なことをしてしまった過去は変えられないから、せめて、もうわたしが誰かを突き放さないように、なんとかクラスメイトに受け入れてもらおうと必死で話題についていった。

ここでわたしは「意志」を失った。

 

 

 

「集団に属さず一人でいることは恥ずかしい」となんとなく気づいて、図書館に行くのをやめた。

友だちがエンジェルブルーなどのブランド服を着ていたから、必死で親に頼んでブランド服を買ってもらった。

 

 

周りの子がやっていることはなんでも真似した。

「周りの子がこれ持ってるから私も欲しい!」と親に言ったら「うちはうち、よそはよそ」と却下され、「みんなの話題についていけなくなる」と焦ったのは一度ではなかった。

 

 

今振り返れば「うちはうち」ってのはとてもよく理解できる。

だけどあの狭いコミュニティのなかで、みんなの話題に入れないこと・みんなと違う部分があることはとにかく不安だった。いつ自分が仲間はずれにされるかわからなかったから。

 

 

本当は図書館に行きたかったし、学校で飼育していたうさぎの小屋に行きたかった。

一人で行動することの何が悪いのかわからなかったけど、でもなんとなく「ひとりぼっちで行動するのは友だちがいなくてかわいそう」という空気を感じていた。

だから自分の意志をかき消して、集団のなかでとにかく仲間はずれにされないようにひっそりと溶け込んだ。

 

 

それから少しずつ友だちができて、わたしはよく絵を描くようになった。

みんなで絵を見せ合ったり、交換したりするのが楽しかった。

 

この頃家にパソコンが届いて、最初はまったく興味がなかったのだけど、友だちのひとりがペイントソフトでイラストを描き始めたことに衝撃を受けた。

 

「パソコンってこんなに綺麗に絵が描けるんだ!」

 

当時ものすごく感動したことを覚えている。

 

 

さっそくわたしも真似して、お年玉を使ってペンタブとペイントソフトを買った。

それはそれはもう、のめり込んだ。

 

1日何時間パソコンに座っていたかわからないほど、夢中で絵を描いた。

どこからその集中力がきているのか不思議に思うほど、ただひたすらに画面に向かっていた。

 

「やっと自分だけの世界に入り込めるものができた!」と嬉しかったのかもしれない。

 

 

しばらくして「インターネットで自分のホームページを作ってイラストを載せられる」ということを知った。

さらには掲示板というもので全国のイラスト好きの人たちと交流できるらしい。

 

「インターネットってすごい」

と純粋に思った。想像もできないほど膨大な情報と人のつながりに心底ワクワクした。

 

 

すぐにヤフーで無料ホームページを開設した。

当時小学6年生、パソコンの知識は皆無だったのにとにかくホームページを作るのが楽しくて、気づけばHTMLタグなんかもいじれるようになっていた。

サイトデザインなんかもこだわって、アクセスカウンターを設置したりイラストギャラリーのページを作り込んだ。

 

掲示板も設置して、イラストを描いている人たちと交流しはじめた。

なんだかわたしの自然体を受け入れてくれる居場所を見つけたようで嬉しかった。

 

 

学校では自分の意見を押し殺して過ごし、家でもなるべくわがままを言わないようにしていたから、そのどちらにも少し窮屈さを感じていたのかもしれない。

だけどインターネットだけは、純粋にわたしが好きなことを発信できて、それを受け入れてくれる人がいた。

 

 

なんて幸せな空間だろうと思った。

現実を忘れて、まさにインターネットの中で生きているような感覚だった。

学校にいても、食事をしていても、つねにホームページのことが気になる。メールを返したくなる。

 

とりあえず学校も家もまわりに合わせて適当に過ごしておけば自分の幸せな空間(インターネット)は邪魔されないだろうと思っていた。

 

 

が、

 

それも長くは続かなかった。

 

 

 

つづく

 

 

次の記事>ネット依存になった私と両親の開業について

 

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執筆屋あんちゃ
執筆屋です。意識高い人生哲学から下ネタまで幅広く。 大阪の珈琲屋「シロフクコーヒー」のバリスタ▶︎系列店「ゆにわマートオンライン」に最近異動しました。最近はよくインスタにいます。

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