#あんちゃ珈琲修行、1ヶ月経過。

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朝、6時25分のアラームが鳴る。

 

寝ぼけまなこをこすりながら布団の中で10分葛藤し、

寒さに身体が縮こまった状態でようやく起き上がって身支度をする。

 

 

すこし早歩きで珈琲屋へ向かう。

 

 

師走の朝はほのかに薄暗く、朝もやの中でわたあめのような白い息がふわふわと漂う。

夜中に雨が降ったのか、地面は日の出とともにキラキラと輝いている。

 

 

 

 

 

 

店に着いて「おはようございます」と挨拶して

エプロンをつけて手を洗う。

 

 

オープン準備を整えて

朝に一杯のドリップを淹れる。

 

 

その日最初のドリップは、自分の精神面から体調まで、すべての状態を確かめるためのものでもある。

 

誰かの本で「ドリップは自分とコーヒーを一体にする行為だ」と書いていたが

コーヒーはその一杯に自分の有り様がそのまま表れるらしい。

 

 

焦りや不安があればどこかせわしない一杯になり

心が平静であれば身勝手なエゴは消え

純粋に珈琲豆の良さを引き出す一杯となる。

 

 

 

 

 

コーヒーを淹れる瞬間は、時が止まる。

 

全神経を目の前の一杯に集約して

最初にそそぐ一滴から

最後にしたたる一滴まで

目も耳も鼻もフル回転で無心になる。

 

そうして最後に口に含んで、今日の調子を確かめる。

 

ほかのスタッフさんにも、自分には見えていない視点から確かめてもらう。

 

 

 

そうやって、1日がはじまる。

 

 

 

 

店内からガラス越しに外を眺めると

家々のすきまからまっすぐな日の光が降り注いで

すこし霧がかった幻想的な空気が漂っている。

 

 

ただそれだけのことで、今日も幸せな1日であることを確信する。

 

 

 

 

 

しばらくすると、常連さんが白い息を吐きながら肩をすくめて店にやってくる。

 

今朝は冷えたから、すこしだけ熱めに作ろうかななどと思いながら

その人が一口飲んでほっと一息つく姿を想像してコーヒーを淹れる。

 

 

 

修行を始めてまだ1ヶ月のわたしは、

つい自分の淹れたコーヒーがどうだったのか感想を求めたくなってしまう。

 

だけどお客さんにそれを求めるのは、自分が聞いて安心するための、自己満足の行為でしかない。

 

 

「お客さんがコーヒーを飲む姿を見届けるのは大事。だけど、感想という見返りを求めるのとは違うよ」

 

と店長が話してくれたことを思い出し

コーヒーを淹れたあとは、飲んだ人が幸せな気持ちになれますようにと

ひたすら祈りながら、見返りという執着を手放す。

 

 

 

 

そんな中で、寒空のもと足を運んでくれたひとりのお客さんが

コーヒーを飲んだ瞬間に表情がゆるんで

丁寧に、大事そうに、その一杯を飲んでいる姿を見ただけで

わたしは胸がいっぱいになり、涙がこみ上げてきそうになる。

 

 

直接会話せずとも、コーヒーを通じて

お客さんとわたしが一体となったような、そんな感覚に包まれる。

 

 

 

この感覚はまさに、ブログを書くときと全く一緒であることに気づく。

 

わたしの綴る言葉が、誰かの生活に溶け込んで

ほんの少しでもその人が前進するためのきっかけになれたときは

わたしはブログを通して顔もわからない誰かとこの上ない一体感を得る。

 

 

 

 

 

わたしは一体どれほどの間、この感覚を忘れていたのだろうと、過去を遡る。

 

 

 

独立して働き始めてから、目に見える数字がすべてだと思ってやってきた結果

人を数字で見るようになり

目に見えないそれらの感覚を見失った。

 

 

 

目に見える財産だけを追い求めた結果

わたしは財産を得るためにこの働き方を選択したのだろうか?と

昨年から突然迷子になって、前に進めなくなった。

 

 

そんなゴールの見えない迷路から、方向性を示してくれたのは

損得をこえて関わってくれた人たちのおかげだった。

 

 

まわりの人たちのさりげない一言や姿勢によって

わたしは前進するきっかけをもらった。

 

 

 

そのとき、忘れていたあの「あたたかい感覚」に全身が包まれた。

 

 

 

だからわたしも同じように

コーヒーを淹れるときも言葉を綴るときも

その一杯で、その一言で、

誰かの一日がちょっとでも前進するためのきっかけになれたらと思う。

 

 

 

たしかに今は、まだまだ道半ばで

誰かの人生を変えるような一杯を作るなんておこがましいし綺麗事かもしれない。

 

それでも、だからこそ、その綺麗事を掲げることに意味があるともおもう。

 

 

最初は綺麗事かもしれないけど、掲げ続けていたら

その綺麗事はいつか現実になるかもしれない。

 

そしてそれを、根拠なく確固として信じる力だけは、これからも持っていようと思う。

 

 

 

 

▼修行の経緯はこちらの記事をどうぞ!

関連記事:執筆屋あんちゃ、珈琲の修行を始める。

 

 

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