「短い言葉で人の心に響く力を身に付けたい!」
と思い、キャッチコピー力を磨く目的で、あらゆる小説の冒頭の一文を読み漁った時期がありました。
いろいろと印象に残る冒頭文はたくさんあるのだけど
「メロスは激怒した。」
ほど短く、強烈なインパクトで、感情が伝わって、
一瞬で映像が脳裏に浮かんで物語に引きこまれる一文は、そうそうないんじゃないかな〜と思いました。一生忘れないよね、これ。(「走れメロス」太宰治)
小説の冒頭文って、長い物語の旅路に読者を招くための大事な一文なので、筆者がかなり力を入れる部分だと思います(`・ω・)
わたしは小説を書くわけじゃないけど、ブログを書くときは、ページを開いた瞬間に飛び込んでくる一文で、その世界にグッと引き込むつもりで書きます。
それなりにボリュームのある文章は、最初の2〜3行がテキトーだったらすぐに離脱されてしまうので、かなりエネルギーを投入します。
YouTubeはビジュアルでも見せられるので、ある程度ノリと勢いがあれば、言葉がテキトーでも面白く見れてしまいますが。
文章は、こういう工夫が必要だからこそ、構成を作る力も、キャッチコピー力も、セールス力も、一気に身に付くんですよね。
(しかも1日やそこらじゃ身につかないし、多くの人が挫折するので、続けるだけで希少価値。笑)
とはいえ、誰もが感銘を受けるような、深みのある文章は、ただキャッチコピー力を表面的に学んだだけでは決してたどりつけません。
いくらキャッチーなフレーズを置いても、そのあとに続く世界へ一気に引き込む奥深さがなければ、ただ表面的な刺激で終わってしまいます。
そしてその奥深さとは誰にでも出せるものでは無く、そもそも深みのある人生を送っていなければ綴ることもできません。
文豪たちの文章にあれだけ躍動感があるのは、命を削る思いで言葉に向き合い、死ぬ気で毎日生きて、己の芯を貫く覚悟があったからだと思います。
そういう、”生きている”文章は、書き手の壮大な生き様があってこそなんですよね。
文章を書く1時間に、文章を書いている時間以外のすべての生き様が集結している、そんな感覚です。
(そういえば、ピカソの逸話で、ファンが差し出した紙に30秒で絵を描いて、「この絵は100万ドルですよ」とピカソが言ったことにファンが驚いて、「30秒で描いた絵なのに?」と聞き返したら、ピカソは笑って「30年と30秒ですよ」と答えた・・・という話をいま思い出しました)
だから、根本から言葉の力を磨くには、テクニックだけじゃなくて、言葉を綴る以外のすべての時間で、どれだけ熱く、躍動感をもって生きられているか、が問われるのだと思います。
言葉でただ言うだけなら簡単ですが、そこにどれだけ腹を括って、覚悟をもって言えるのかで、相手の心に届く「深度」が変わるんですよね。
読んだ人の、心の奥深くから熱がふつふつとこみ上げるような、そんな文章を書くつもりで、わたしも毎日言葉を綴っていきます。