1年半前のブログの下書きから「情報発信つらいやめたい」って出てきた話

 

ブログの下書きって、一旦下書きに入れたら日の目を浴びることはないという個人的なジンクスがあり、そういうお蔵入りの記事がたくさん溜まってるので整理しようと思ったんですが、

その中にたまたま1年半前くらいに下書きに保存してた記事を発見しまして。

 

どんなこと書いたのか気になって読んでみたら、「発信するのしんどい、もうやめたい」って書いてました。エモみが深ぇ〜〜〜〜(//∇//)

でも、そんな弱音吐いておきながら最終的には公開せず下書きに入れてたので、きっとこの弱さを認めてしまうことに抵抗があったのだと思います。

 

これを言ってしまったら、本当に発信をやめてしまうかもしれない。それでいいのか?

そういう葛藤があったらこそ下書きに入れといたんだろうなと。

 

若かりし1年前のわたしに、「よく歯食いしばってくれたな」と肩をぽんぽんしたいですね。(笑)

 

記念にそのときの下書きの一部を載せときます。

発信してると360度全方向からいろんな意見を浴びる。

自分が一本の木だとしたらいろんな方向から強風が吹いてる感じ。少しでも自分の幹がブレればすぐに折れてしまう。

正直わたしはなんども折れそうになってるしいろんな言葉に耳を傾けすぎてしょっちゅうパンクしてる。

情報発信するのって、こんなにしんどいものだったのかって。

「こんなにつらい思いをするなら、心無い言葉を浴びるなら、発信なんてしなきゃよかった」なんて思う。それくらい苦しさに負けそうになる。

 

でもわたしは少なからず誰かのメッセージに励まされ助けられてきたし、自分も誰かを支えるようなメッセージを伝える存在でいたいとも思う。だから最終的には、私は頑張りたい。

力強く根をはるために、「自分が本当にやりたいことは何か」「自分が心から伝えたいことは何か」を常に問い続けたい。

 

 

うわっ…わたしの過去、エモすぎ……?(´⊙人⊙`)

(わたしの年収低すぎのリズムで)

 

当時は苦しくていっぱいいっぱいだったかもしれないけど、こうして時間が経てば笑い話になるし、良い教訓になるんですよね。

 

きっとこのときに目先のしんどさを優先してたらわたしは今ブログを書いてないだろうな。

しんどい時は、その苦しみが自分にとって必要なものなのか、そうじゃないのかをちゃんと考えた上で判断したいですね。

負の感情にまかせて投げやりに動いて、「なんでやめちゃったんだろう」と思っても遅いから。

 

歯を食いしばるときなのか、思い切って積み重ねたものを捨てて方向転換するときなのか。

タイミングを見極める力を養いながら、わたしは引き続き発信していきます。

 

▼あんちゃのエモい過去シリーズはこちら

関連記事:悔しい。不甲斐ない。情けない。(2019年2月)

関連記事:深夜2時のミスドで独り、おもうこと。(2018年9月)

関連記事:ちょっと遠くまで来すぎてしまったみたいだ(2018年1月)

この記事をSNSでシェアする↓
ABOUT US
執筆屋あんちゃ
執筆屋です。意識高い人生哲学から下ネタまで幅広く。 大阪の珈琲屋「シロフクコーヒー」のバリスタ▶︎系列店「ゆにわマートオンライン」に最近異動しました。最近はよくインスタにいます。

>>詳しいプロフィールはこちら