自分の発する「音」で、心の境地を知る。

 

シロフクコーヒーで修行を始めてから約1年半、大きな変化の一つのなかに、

「〝音〟で自分の状態がわかるようになった」ということが挙げられます。

 

 

自分が普段、どういう〝音〟を発しているのか。

 

たとえば、あからさまに調子が悪いときは、音が荒くなります。

 

 

子どもの頃、お母さんがキッチンの扉をバーーーーンッ!としめたら

「あ、いま機嫌が悪いんだな・・・」

「父さんとケンカしたのかな・・・」

というのを察していたように、

 

たとえば洗い物ひとつするにしても、

食器をぶつけまくったり、ガチャガチャ置いたり、手を滑らせて落としてしまったり、普段発さないような音を出しているとき、

たいてい焦りや、別のことを考えて「心ここにあらず」の状態になっていることが多いのです。

 

 

でも、その違いがわかるのは、日頃から「音」に気をつけて生きるようになったから。

 

自分がいまいる空間に、調和するように、音を発しているか?

モノを置くときに、スッと、心地いい音を出せているか?

人の会話や、仕事をジャマしないように、静寂に溶け込む音になっているか?

 

 

特にカフェは、お客さんがみんな静かに過ごす時間も多いので、自分が出す音によって、空気をぶち壊してしまうことは、あってはならないことです。

 

わたしがもし荒々しい音を出すことによって、

ひらめいたはずのアイデアが消えてしまったり、

高い集中力で進めていた仕事が途中で止まってしまったりしたら、

わたしは、そのお客さんたちのエネルギーを奪っていることになります。

 

 

むしろ、洗い物ひとつで、お客さんが「心地いいなぁ」と思うほどの音を奏でられたら、

思ってもみないアイデアが降ってきたり、会話が弾んだり、仕事がさくさく進んだりすることがあるかもしれない。

 

 

ほんとにそうなるかどうかは置いといて、

それくらい、自分のひとつひとつの振る舞いが、周りの人や空間に影響すると考えれば、自然と丁寧に、すべてのモノに対して敬意を払って、触れるようになります。

 

 

 

そういえば、わたしの後にコーヒー屋に入った、通称「ラクダくん」というスタッフがいるのですが、
(「ラクダに似てるから」という至極単純な理由で命名)

 

初期の頃、何かとモノに触れたり、動かすたびに

ガチャン! バーーン! ドスン! バサッ!

と、普通の人の3倍くらいの物音を立てていたため、わりと初日から私はキレ気味に「扉は静かに閉めろォォォ!」と言っていたのを覚えています。

(ラクダくんはドMなので、むしろ喜んでいました。)

 

 

その後みんなで談笑していたときに、店長のこがさんが

「モノを、モノとしてしか見ていないから、そういう扱いするんよな〜」

とさらっと言った言葉が、ラクダくんの胸にグサグサと刺さったそうですが・・・

 

 

たとえばコーヒーカップ一つにしても、それを生み出す作家さんがいて、新たな命を吹き込むように、身を削って、作品をつくるわけです。

そういう、モノに込められたいろんな想いとか、携わった人たちのこととか、もろもろの背景を感じることなく、乱雑に扱うのは、何も見えてない証拠だよね、と。

 

 

その向き合い方が、すべて、音に出るのだよと。

 

 

なんだか禅道場にいるような気持ちになりましたが、そうやって、ひとつひとつの所作や立ち居振る舞いを顧みる時間は、

自分の心も洗われていくようで、余計なノイズが無くなっていくなと思います。

 

 

そうすると自然と余裕が出てきて、目の前のお客様にも、誠心誠意対応することができます。

いいことづくしです。

 

 

ささいな〝音〟から、ここまで深い気づきがあるとは・・・。

 

 

まだまだ修行は続きます(`・ω・)b

 

背がでかすぎてめっちゃ猫背でドリップするラクダくん

 

 

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